かつて本田圭佑もプレーしたイタリアの名門、ACミラン。
昨年末からチームを指揮しているのが、セルジオ・コンセイソン監督だ。50歳の同氏は現役時代はポルトガル代表として活躍した人物。
ポルトで監督を務めた際には、中島翔哉を試合後に“公開説教“したことも話題になった。
そのコンセイソン監督は、「母の日」に向けたミラン公式動画で涙ながらにこんな生い立ちを明かしていた。
「私は8人兄妹のひとりで、みんな言葉では言い表せないほどの愛情を抱いていた。その感情を言葉で表現することは不可能だ。
多くの困難の中で育った。父は働き、母が子供たちの面倒を見ていた。母も多くの愛情と気遣いにあふれ、とても一生懸命だった。母は私の原点だった。
人生で一番幸せだった瞬間はいつかと聞かれるが、永遠に続く幸せなんて存在しないと思っている。
人によっては、他人より幸せな時もあるけれど、それでも私にはいつも少し暗い面がある。完全に幸せとは言えない、母がいないのはとても寂しいからね。それは今も変わらない。
家族との旅を通じて、自分は強さを得た。4歳のとき、当時12歳だった兄を亡くした。
そして、15歳になった時には父が亡くなり、16歳の時には母がすでに脳卒中で左半身不随になっていて、ひとりでは生活していけない状況だった。
兄たちは私より年上だったので、幼い私が母のためにあらゆることをしなければならなかった。お風呂に入れたり、食事をさせたり…言葉では言い表せないような深い愛、深い絆を経験した数年間だった。お金の面では、自分たちは何もなかったが、それでも大きな愛があった。
『母親がいる人たちは恵まれているけれど、そのことに気づいていない』という言葉がいつも心にあるが、その通りさ。
母が決して私を叱らなかった。父はタフで、厳しく、気難しかった。母は子供を守る典型的な母親で、いつも優しい言葉をかけてくれた。一番大切な人だ。妻のことを忘れたくないけれどね、そうでないと妻は怒るから(笑)。
ただ、母が亡くなる18歳まではとても、とても、とても幸せな時期だった。困難な時期もあったが、愛に満ちていた、とても大きな愛に…。それが事実だよ。
でも、私が日々感じていることを伝えるのは難しい。結局のところ、痛みはいつもそこにある。この痛みには慣れたし、それとともに生きて前に進むことができる。
勝ったとき、最初に口にするのはいつも彼らへの言葉だ。私に与えてくれたもの、語らずに教えてくれたもの。性格や人格の基礎となる大切な価値観を与えてくれた。彼らのために成功したい。
私からこの世界のすべての母親と女性たちへ願うことは…世界が前進しているのは、彼女たちのおかげだということ。幸運にも母親がいる人たちがこの機会に『愛している』と伝えることを願うよ」
幼少期のコンセイソン監督は、ヤングケアラーのような状況も経験していたようだ。
そのコンセイソン監督率いるミランは、14日にボローニャとのコッパ・イタリア決勝を戦う。