三浦兄弟
三浦泰年/3試合0得点(1993)
三浦知良/89試合55得点(1990-2000)
日本サッカー界を牽引し、今なお現役として奮闘する“キング”こと三浦知良だが、実は兄弟プレーヤーとしても有名だ。
1学年年上の兄の泰年は、カズと同じくブラジル留学から読売クラブに加入した経歴を持つ。ただカズと違ってDFで、粘り強さやしつこさを武器に活躍した。
日本代表には、ケガをした都並敏史の代替として呼ばれた。日本のエースだった弟のような活躍はできなかったものの、1993年10月に行われたW杯アジア最終予選など3試合で兄弟そろって先発出場している。
日本代表で兄弟がそろって先発したのは、この三浦兄弟が最後となっている。
松永兄弟
松永行 /2試合1得点(1936)
松永信夫/4試合0得点(1942-1955)
松永碩 /1試合0得点(1951)
戦線戦後にかけて、3兄弟で日本代表に出場したのが松永兄弟だ。
兄の行(あきら)は、上述の加茂兄弟らと1936年ベルリン五輪に出場。スウェーデン戦で逆転の3点目を決め、“ベルリンの奇跡”の立役者となった。ただ28歳のときに戦死している。
弟の信夫も戦争の影響を受けたが、戦前と戦後に日本代表に選ばれた。もう一人の弟・碩(せき)は1951年にインドのニューデリーで開催されたアジア競技大会に出場している。
なお、碩は戦後、当時の読売新聞社社長・正力松太郎からサッカーのプロを作る相談を受け、東京クラブを編成した。