こちらは3月に書いてあった原稿である「プレミアで3バックが流行らない理由」に対するアンサーソング的な何かとしてお楽しみいただけたら幸いです。
個人的に言えば、フットボールにおける失敗をブラックボックスである部分に求めるのは好きではない。今回語るマンチェスター・シティにおける監督解任の一件もまさにそういった類の事である。
昨シーズン奇跡的な優勝を果たした水色のクラブ、マンチェスター・シティが指揮官であるロベルト・マンチーニを解任した。イングランドでは「尊大な態度が選手との軋轢を生んだ」と各誌から散々に叩かれているが、そういった選手と監督の関係性は我々外部にいるものにとってはブラックボックスでしかない。内部の関係者からコメントを取ってきたりしたとしても、「本来は機密にしなければならないクラブ内の事情」を外部に対してまき散らしてしまうような関係者のコメントに信頼がおけるだろうか?
もちろん、選手との関係が悪化していたこと自体に疑う余地はない。しかし、「尊大さ」を原因に求めるのはどうも腑に落ちない。様々な記事に触れる中で、最も妥当だと思えたのは「守備に対する決まり事が多かったことで守備陣が混乱した」というものである。ある意味ではイタリア人指揮官らしいこの特性は、3バックへのチャレンジと普段使用してきた4バックの併用によって膨大なタスクをCBやSBに課すことになったことは間違いないだろう。多彩な攻撃パターンを3バックの際に繰り出していったマンチェスター・シティではあったものの、守備面では絶対的な安心感をもたらすことはなかった。厄介な隣人であるマンチェスター・ユナイテッドが最強の矛であれば、マンチェスター・シティは最強の盾であったはずだった。しかし、今季は攻撃へのシフトによって守備へと様々な負担が襲い掛かったのだろう。全員が納得できるような結果をすぐさま伴わせることが出来るほど、マンチーニは天才ではなく、それが世界トップクラスの選手たちに苛立ちの感情をもたらしてしまったのではないだろうか。
ロベルト・マンチーニは凡人だ。サッカー選手としては素晴らしい才能に突き動かされるようにプレーをしていた彼だが、監督としては凡人故にどうしても過小評価をされてしまう傾向にある。何度も筆者はそれを痛感させられるが故に、彼が非常に魅力的に映る。ジョゼ・モウリーニョやアレックス・ファーガソンの様に、ピッチに立つだけで全てを掌握してしまうようなカリスマを持っている訳ではない。マルセロ・ビエルサのような戦術的特異性がある訳でもなければ、ズデネク・ゼーマンのように自身を突き動かす戦術的な哲学を持っている訳でもない。ラファエル・ベニテスのように一瞬で状況を一転させるアイディアを持っている訳でもなければ、ユップ・ハインケスのように戦術を自由自在に使いこなしていく器用さがある訳でもない。それでも彼は諦めない。選手たちを完璧に掌握出来るほどのカリスマではないからこそ、選手たちを理解しようと必死で走り回る。
3バックも恐らく彼の引出しにはあったが、そこまで得意としている訳ではなかったはずだ。それでも、より上を目指して3バックの熟成を目指していった。結果的に「凡人」であるが故に簡単には熟成出来なかったことから結果を残し切ることが出来ず、残念ながらマンチェスター・シティから去っていくこととなってしまった。プレミアリーグでは3バックは流行りにくい、ということも大きな原因にはなったのだろう。
それでも彼が築いたものはマンチェスター・シティに生き続けるし、そういった意図があったにしても無かったにしても、今シーズンのマンチェスター・シティがプレミアで最高峰の「現代的」なポゼッションフットボールにトライしようとしていた事実は消えることはない。不器用ながら堅実に、未来を見据えて作っていったチームが将来プレミアを席巻するとしたら、彼の功績も少しは認められるだろうか?
否、恐らくそういった事は起こらないだろう。恐らくマンチェスター・シティを継いでいくのはビッグネームであるだろうし、その監督の陰にマンチーニは消えていくことだろう。それでも、彼はまた新しい職場で「凡人」としてフットボールを作っていくのだろう。そして長い時を経た時、1人の青年監督でしかなかった彼は「職人」としてフットボール界で認められているのかもしれない。
筆者名:結城 康平
プロフィール:「フットボールの試合を色んな角度から切り取って、様々な形にして組み合わせながら1つの作品にしていくことを目指す。形にこだわらず、わかりやすく、最後まで読んでもらえるような、見てない試合を是非再放送で見たいって思っていただけるような文章が書けるように日々研鑽中」
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