ホーム開幕戦ということで「勝利」以外は許されなかった南米王者ブラジル、ヨーロッパ屈指の強豪として知られるイタリア。激しく苦しい闘いに加えて、ブラジルの容赦なく体力を奪っていくような暑さと湿気の中で過密日程を闘っていた日本代表は間違いなく「満身創痍」だった。そこまで整っていないグラウンドが生み出す不可解なバウンドも、容赦なく日本の選手たちの集中力を奪っていく。

それでも、対することになったメキシコも条件は同じだった。むしろ監督の解任説が報じられているようにW杯予選にも苦しみ、ブラジル戦でもイタリア戦でも自分たちのサッカーを見せられなかった彼らの方が前評判は悪かったといってもいい。「日本代表が見せたイタリア戦での素晴らしいパフォーマンスを見る限り、メキシコにとってはかなり厳しい闘いになるだろう」という書き方をしていた海外メディアすらあったほどだ。しかし、試合は決して大方の予想通りにはならなかった。イタリア戦でのシーソーゲームでブラジルのファンを魅了した日本代表に、まるでホームのように大歓声が鳴り響くスタジアムでさえ、本当の主役になったのは「中南米の雄」であった。

さて、少し横道に逸れることにしよう。メキシコと言えば、非常に育成に定評があることで知られる国である。ロンドン五輪で「A代表レベル」とまで絶賛されるほどにタレントを揃えたブラジルU23代表を相手とした決勝ですら「現代フットボール」の教科書のようなサッカーで翻弄。日本のU23代表も決勝トーナメントではその実力差を見せつけられた。その際のメンバーも今回のメキシコ代表には多く含まれていたように、メキシコ代表の選手たちは非常に若い年代から「後ろからボールを繋ぎながら様々に攻撃の形を変えていく現代サッカー」の中で呼吸するように生きている。

メキシコも、特に序盤は「W杯予選で不調」であることが解るような、非常に低調なフットボールを見せていた。それにも関わらず、イタリア戦の「勢い」を持続したはずの日本がどうしてあっさりと敗れ去ってしまったのは何故だったのだろう。そこには、メキシコ代表の選手たちに育成年代からしっかりと植え付けられた「想像力」の差があったのである。「想像力」という言葉で表現したこの能力は、本コラム内ではピッチ全体で起こっている状況を理解しながらポジションを変えていく能力のことを指していこうと思う。様々に組み立てをしながら、バックラインが多様に形を変えていくようなフットボールスタイルを育成年代から教え込まれているメキシコ代表だからこそ、選手たちだけで「自主的」で状況を打開することが出来たのである。

Confederations Cup 2013 Japan v Mexico

これまでは基本的にベテランを中心に据えていたメキシコだったが、この試合では勝っても決勝トーナメントに進める可能性が無くなっていたことから、オリンピック世代を積極的に起用。日本代表も、バックラインから数人の主力を外して試合に臨んだ。序盤はメキシコの攻撃が全く上手くいかない。左サイドのアタッカーであるグアルダードを低めに落としながらボールを受けさせ、サイドバックをオーバーラップさせながら左サイドに数的有利を作って切り崩す攻撃を狙った。

Confederations Cup 2013 Japan v Mexico

恐らく逆サイドのドス・サントスは孤立させておいて突破力を生かした方がいいと思ったのだろう。組み立ては左サイドに集中することになっていく。しかし、基本的に左サイドではある程度ボールを持てるものの、そこから攻撃に上手く移る方法を見つけられない。そうなると、空いたスペースにカウンターなどで岡崎がボールを積極的に持ち運んでいくことで日本代表はチャンスを作り出していった。明らかに序盤は、そういった右サイドからの岡崎の突破によって危険な場面を生んでいたメキシコだったが、前半30分過ぎ頃から少しずつ修正を始めていく。

Confederations Cup 2013 Japan v Mexico

ここで連動を生み始めたのはグアルダードである。何度も引く動きを繰り返す中で、彼が見つけ出したのは「右サイドバックの酒井が追ってこないゾーン」であった。実際左サイドバックのオーバーラップも警戒していかなければならない酒井は、どこまでも下がっていくグアルダードを追いかけていくことは出来ない。前半終了まではそこまで完璧に周囲が彼の意図を察知していた訳ではなかったが、ハーフタイムを経てメキシコ代表は大きく変わる。引いてボランチに近い位置でゲームの組み立てを助けていくグアルダードに呼応するように、ボランチのトラドが高い位置に出ていくことによって、前線に厚みを出していったのである。更に、組み立て時にDFラインの中心に入った20歳のCBレイエスは、何度となく精度の良い縦パスを前線に送り込むことによって一気に高い位置に起点を作り出した。

こうして日本代表を押し込んでしまえば一気にペースはメキシコに。下がりながらの守備は苦手としているものの、セカンドボールを拾いに行くような「前に出ながらの積極的な守備」は得意とする彼らにとって、前線に枚数が増えることは攻撃だけでなく守備の局面でも大きな意味を持つことになった。

また、先取点が生まれたのは「キープレイヤー」となったグアルダードのところからであった。低い位置や中央でプレーしていたかと思いきや、スルスルと左サイドに入ってきたことで酒井のマークが甘くなり、そこから高精度のセンタリングを送り込まれてしまったのだ。意思を発したのはグアルダードだったものの、そこに全員が呼応するように対応しながらプレーしていたのは流石メキシコ代表の選手たちと言わざるを得ない。しっかりとフットボールが11対11のスポーツであることを理解していたからこそ、彼らはこのように試合を修正していくことが出来たのである。日本の前線もポジションチェンジを好んでいるが、それはあくまでも2人や3人の関係で行っているものが多く、チーム全員がそれに連動していくような形は少ない。あくまで行き当たりばったりな連動は、時に「動きが被る」ことによって前線に無駄な渋滞を生んでしまう。

では、日本では勝つ術はなかったのかといえば、全くそんなことは無かった。岡崎が何度も切り崩した右サイドにスピードに優れる乾を投入しておけば、恐らくそこまで苦労することはなくチャンスを作り出せたはずだ。また、チャンスを作り出せないにしてもサイドバックの攻め上がりを牽制するドリブラーの投入は大きな意味を持つ。しかし、ザッケローニはそうしなかった。それは何故か。恐らくザッケローニはこのタイミングで攻めの「手札」を見せることを嫌がったのではないだろうか。実際決勝トーナメントに行くことは不可能となったこの状況、更に先制点を浴びたとなればドリブラーという「切り札」は隠したまま終えたいというのが普通だろう。

この大会で明らかになったのは、選手たちの自主性を重んじたような正攻法で挑んだ場合、日本代表は「まだ」高いレベルの相手と闘えるレベルではないということだ。ブラジルのようにアイディアと破壊力で相手をねじ伏せるような「個」がある訳でもなければ、イタリアのように一瞬で勝負をかけて畳み掛けてしまう「集中力」がある訳でもない。また、メキシコのように上手くいかなければ全員がそれを把握して修正しながらゲームを取り戻していく「想像力」がある訳でもないのだ。それでもアルベルト・ザッケローニは、日本代表を正攻法でも「ある程度」はコンフェデの舞台で踊らせてみせた。決して綺麗に勝負を決められなくても、その勤勉さによって試合のどこかで来る「流れ」をしっかりと待てることは明らかになったはずである。

正攻法でもこれだけやれたのだから、相手の意表を突くようなフットボールを1年間でしっかりと熟成させれば、日本代表はきっと面白いチームになってくれるはずだ。そういった希望的観測を持ちつつ、今後のザッケローニの反撃に期待したい。緻密な戦術によって相手を混乱させて大番狂わせを起こしてくれれば、1年後の本番で「台風の目」になることも不可能ではないのだから。


 

筆者名:結城 康平

プロフィール:「フットボールの試合を色んな角度から切り取って、様々な形にして組み合わせながら1つの作品にしていくことを目指す。形にこだわらず、わかりやすく、最後まで読んでもらえるような、見てない試合を是非再放送で見たいって思っていただけるような文章が書けるように日々研鑽中」
ツイッター: @yuukikouhei

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