その日、いつものように出かける前に世話になっているホストファミリーの母にどこに行くかを告げて家を出ようと私はこう告げた。

「ミルウォールの試合を観てくるよ」

すると表情をしかめて彼女はこう切り返してきた。

「なんでそんなとこにいくんだい?あそこはダメよ。あそこに行くのであればうちに残って勉強しなさい」

それでも反対を押し切って、家を出ようとした私に「本当に気をつけなさいよ!」と真剣な顔つきで告げてきた。

実はこういったやりとりはこれが初めてではない。ロンドンに来てから何回か繰り返している週末のやりとりである。彼女がここまで言うのも理解は出来る。

ミルウォールというクラブチームの名を某有名無料動画サイトで検索すると過去にミルウォールでプレーしていたイングランドを代表するストライカー、テディ・シェリンガムのプレー集や日本を幾度と苦しめたティム・ケーヒルの動画よりも先頭にくるのがサポーターの危険極まりない暴動の数々を集めた動画ばかりである。その動画を見る限りミルウォールのサポーターは危険な集団いわゆる“フーリガン”と言わざるを得ない。歴史もまた彼女の表情の訳を物語っている。

1980年代。現在のプレミアリーグがまだフットボールリーグと名乗っていた時代。彼らミルウォールはその時代の象徴と言って良いほどの荒み具合。これは決してミルウォールに限ったことではなく、当時はイングランドフットボールそのものが荒んでいた時であった。そんな酒と暴力のイメージが付きまとう中でミルウォールサポーターというのはその代名詞ともいうべき存在であった。彼らは巨大なグループを形成し、暴動を起こしていた。

話を少し戻そう。

その日の相手は同じ2部に属し、現在順位も近い(試合開始前リーズ15位、ミルウォール17位)リーズ・ユナイテッドであった。リーズのサポーターもまた暴力のイメージをもたれている。それ故にこの日は多少の緊張感が警備隊の表情からは伝わってくる。

それとは逆に高揚感をたぎらせながら、いつもの仲間と「ミルウォールッ!!」と叫びながらスタジアムに行進するサポーター達を見て、私も同様に高ぶっていた。そして近郊の駅から歩いて10分ほどで彼らのホームスタジアム「ザ・デン」に到着。ここが今最も私がロンドンで情熱を感じれるスタジアムである。

ザ・デンの中では日本の、いやイングランドのスタジアムでも考えづらいほどに汚い言葉が飛び交っている。

リーズサポーターがミルウォールをけなす歌を歌えば、すかさずミルウォール側も「黙れ、リーズ!」の大合唱。日本ならば即刻なんらかの処分が下されてもおかしくないかもしれないこの雰囲気をミルウォールのサポーターは楽しんでいた。この雰囲気を味わえるのはイングランドの中でもここだけではないだろうか?

今や、チケット代も高騰し、旅行ツアーによる観戦者が多いチェルシー、アーセナルのスタジアムに比べて、地元の人々が通い詰めるこのスタジアムは旅行者などはまずいない。それだけにどこか物足りなさを感じるビッククラブのスタジアムに比べて客数は決して多くはなく、サッカーの質も高い訳ではないがキツイジョークが飛び交う古き良きイングランドサッカー楽しめる場所である。

2-0とミルウォールがリードをしていた後半だった。隣に座っていたオヤジが話しかけてきた。

「お前は何人だ?」

突然のことに私は驚きながらも「日本人だ」と答えた。するとオヤジは「そうか。そうか。日本人か。ところでお前はミルウォールは好きなのか?」と確かめるかのように聞いてきた。

「好きだ」私はこう答えた。

するとオヤジはおもむろに所々がほつれ掛けているセーターのポケットから飴玉を1つ取り出して「やるよ、日本人。今日は良い日だな」そう笑顔で告げるとオヤジはまたピッチに目を凝らし「なにやってんだ!クソッタレ!」と怒鳴り散らしていた。やはりここは最高の場所である。


 

筆者名:羽澄凜太郎

プロフィール:現在ロンドン留学中。1993年1月25日生まれ。東京都多摩市出身。小学生の時は野球少年であったが小学6年の時に生で見たレアル・マドリーの面々に感動し、本格的にサッカーを好きになる。

中学卒業頃からライターを志すようになり、高校卒業後、専門学校東京スクールオブビジネスに入学。そこでマスコミやライター、編集などのノウハウを2年間学ぶ。

ツイッター:@randyrin

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