レバークーゼン戦の5得点で、一気にマンチェスター・ユナイテッドは上昇気流に乗る――。慣れ親しんだドイツの地で、香川真司の見せた素晴らしいパフォーマンスに合わせて、そのような記事が日本中に溢れているように思える。しかし、本当にこれでデイビッド・モイーズは全ての問題を解決したということが出来るのだろうか。本コラムでは、マンチェスター・ユナイテッドが抱えている「本当の問題」に切り込むことによって、デイビッド・モイーズが一体「何に」苦悩しているのかを考えていこう。
病巣は更に深みに
恐らくデイビッド・モイーズが求めるのは「維持」ではなく「変革」である。前任者であるサー・アレックス・ファーガソンという余りに偉大過ぎる壁を乗り越えることは不可能であるということを自覚している同郷の男は、何かしら自らのスタイルを作り上げることに執着しているように見える。実際、アレックス・ファーガソンもここ数年は、自らのフットボールがヨーロッパの舞台では最先端から取り残されていくことを感じていたのか、恐らく彼にとって最大の敵であるバルセロナを意識した様々な工夫によってチームに変化をもたらそうとしていたのは確かだ。アンデルソンとクレバリーを中盤に並べた「より流動的な」ポゼッションサッカーを目指そうとしたことも今では懐かしい。香川真司という今までチームに無かった非常に希少なピースの獲得はその一環として行われたものであり、サー・アレックス・ファーガソンですら短期間で扱いきることは出来なかった「ジョーカー」として後任者に託された。ある意味で、サー・アレックス・ファーガソンの「黄金期」を築いた選手たちと「これからの黄金期」を作り上げていくために獲得し、経験を積ませている選手達が混ざり合っているのが、2013年現在のマンチェスター・ユナイテッドというチームなのだ。だからこそ、デイビッド・モイーズの苦悩はより深刻なものになる。前任者のフットボールが染み込んだチーム故に、彼らは慣れ親しんだフットボールにおいて本来の力を発揮する。特にアレックス・ファーガソンの花道を飾るために「全てを懸けた」昨シーズンは、あくまで「ファーガソン」のフットボールでプレミアリーグを捻じ伏せてみせた。
デイビッド・モイーズが求める「アーセナル的な崩し」
しかし、デイビッド・モイーズは自らの哲学にも大きな自信を持っている。エバートンで作り上げてきた、遅攻と速攻を使い分けるスタイルを1つの解決策として用いるのが理想だと考えているはずだ。例えばカーディフ戦。デイビッド・モイーズが志向したのは「エバートン式」を感じさせるフットボールだった。若きベルギー人アタッカー、アドナン・ヤヌゼイがモイーズに重宝されるのには大きな理由がある。それは、「前を向いてボールを持てる」という一点にある。狭いスペースでもテクニックを生かして前を向き、独特なボールタッチで相手を飛び込ませない。若さゆえに独善的な仕掛けが目立つこともあるものの、「彼がボールを持てば前線で時間を作ることが出来る」というのは共通意識としてチームに大きなものをもたらす。時間を作ってくれればDFラインを上げてコンパクトにすることも出来るし、周りがボールを受けるために動く時間を与えることも出来る。例えばアーセナルでいうメスト・エジル、マンチェスター・シティでいうダビド・シルバのように、モイーズはアドナン・ヤヌゼイという若き選手に「チャンスメーカー」としての仕事を託したいと考えているはずだ。エバートンではその位置をスティーブン・ピーナールに託し、その実レイトン・ベインズを影の司令塔として起点にしてしまったようにデイビッド・モイーズは左サイドバックとアドナン・ヤヌゼイの絡みをもっと「チームとして」使いたがっている。カーディフ戦もまさにその狙いが見て取れるものであり、サイドでボールを持つヤヌゼイで起点を作ったところでクレバリーとフェライニという攻撃的なセンターハーフをオーバーラップさせるという「厚みのある崩し」を目指そうとしていることは明らかだった。これはアーセナルのアーセン・ヴェンゲルが今季目指そうとしているサッカーにも少し繋がるものを感じる。エジルやカソルラを中心に高い位置で起点を作ってボールを回しながら時間を作り、機を見て三列目から飛び出したアーロン・ラムジーが得点を積み重ねているように、モイーズはフェライニとクレバリーを三列目から飛び出すアタッカーとして使おうと考えたのである。しかし、その戦術を実行するにはヤヌゼイは余りに若く、それ故に調子が悪い時はボールロストも少なくない。結果的にこの試みはカーディフ戦で様々な要因から失敗する。フェライニとクレバリーというコンビネーションが噛みあっていなかったこともあるが、それ以上にモイーズのやりたいことをチームとして共通理解出来ていない。そういった印象を強く受けた。
香川真司トップ下起用でのアウェイでの成功は、仮初めの解決策なのか
そして、CLのグループステージ、アウェイのレバークーゼン戦である。香川真司をトップ下、左右にバレンシアとナニという攻撃的なメンバーを揃えたマンチェスター・ユナイテッドはなんと5得点。ドイツの地で復活を感じさせた。しかし、これが全ての解決策になるとは思えないのが正直なところだ。結局このやり方では、ある程度個人の能力で相手を捻じ伏せることが出来ることが前提となる。実際レバークーゼンは中盤での構築と、最終局面での崩しに苦しみ、何度となく中盤でボールを失ってくれた。香川は前線にある程度残っておけたし、カウンターで一気に仕掛ける際にルーニーと香川の2人がある程度高い位置に残っておくことが可能になった。サイドもそこまで下がる必要はなかったので、カウンターに円滑に移行することが出来た。これはある意味では4-4というブロックを作って守り、そこから一撃必殺のカウンターを仕掛けるアレックス・ファーガソンのフットボールを彷彿とさせるものであった。しかし、これが「同格」の相手に可能なのか?というと疑問が残るところでもある。今季のアーセナル戦、1-0で勝利を収めたものの70%近く相手にボールを持たれたことを忘れてはならない。アーセナルのサンティ・カソルラが、「敗北はしたものの、彼らから怖さは失われた」と語ったように「怖さを失ったとしても、トップクラス相手には2枚を前線に残しておくことが出来ない」ということが現在のマンチェスター・ユナイテッドに蔓延る現実だ。結局ルーニー、ファン・ペルシー、香川真司、ナニ、ヤヌゼイ、チチャリート…という圧倒的な攻撃ユニットを擁していても、その選手達を前線に送り込む術が無ければ宝の持ち腐れになってしまう。1つの手として前線に枚数を残すために、前からのプレッシングに打って出ることも出来なくはないが、そうなってくれば少なくとももう1枚はハードワークが出来る選手が必要になってくるだろう。例えば開幕数試合でモイーズが試した形のように、バレンシアとウェルベックの同時起用というのが1つの解決策になるのかもしれないが、場合によっては攻撃力の低下という問題も抱えることになり兼ねない。
理想的な道と、その実現性
より理想的な選択肢は「もっと効率的にボールを保有する」ということにある。マンチェスター・ユナイテッドが常に思い描き、目指した1つの形だ。マイケル・キャリック、ダビド・デ・へアのようにボールを回すことが出来る人材はある程度チームに揃っている訳だし、こういった選択でこそ「香川真司」という選手の特徴も生きるはずだ。大黒柱であるルーニーも、中盤でのサイドチェンジは非常に上手い。だがしかし同時に、現在の守備力と陣容ではなかなかボールを保有するサッカーは難しいというのが大きな問題だ。格下相手にはボールを持てても、アーセナルのような相手を前にすると途端に引き下がらざるを得なくなってしまう。また、そういったサッカーをするのであれば特にサイドバックに視野が広い選手が必要だ。以前トッテナムに所属したアス・エコト、現エバートンのレイトン・ベインズ、現バルセロナのダニエウ・アウベス、日本代表でいえば内田篤人のように「ボールを扱って積極的にポゼッションに絡むことが出来る」サイドバックが間違いなく必要になるだろう。理想と現実の間には大きな壁があり、アドナン・ヤヌゼイも香川真司も全てを託すにはまだまだ「精神的に」若すぎる。ルーニーやファン・ペルシーは既に大きなタスクをチーム内で背負っており、恐らく「変革の旗手」にはなり得ない。それ故に、デイビッド・モイーズの苦悩は終わらない。前任者サー・アレックス・ファーガソンでも乗り越えられなかった壁を越え、再び赤き悪魔を欧州の最前線に。圧倒的高く厚い壁が彼の前にはそびえ立っている。「常に勝者だったチームを変革する」というミッションは果たして可能なのだろうか。
デイビッド・モイーズとサー・アレックス・ファーガソンの地元スコットランドでは、「愚者はまぐれ当たりを自慢し、賢者はミスショットから多くを学ぶ。」という諺がある。その諺のように、様々な工夫と失敗から答えを見つけてくれることを期待したい。
筆者名:結城 康平
プロフィール:「フットボールの試合を色んな角度から切り取って、様々な形にして組み合わせながら1つの作品にしていくことを目指す。形にこだわらず、わかりやすく、最後まで読んでもらえるような、見てない試合を是非再放送で見たいって思っていただけるような文章が書けるように日々研鑽中」
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