フランスリーグでも「異色の存在」
日本サッカー協会もお手本にしたというクレールフォンテーヌ・アカデミー。かのティエリ・アンリも育成されたというフランス国立の育成機関であり、世界各国にタレントを送り込んでいる。
Thierry Henry thinks that Kanté and Payet are the signings of the season....Agree? He's on #SSNHQ now. pic.twitter.com/zn6uO6A8hX
— Sky Sports News HQ (@SkySportsNewsHQ) 2016, 2月 12
イングランドやスペインなどから比べればトップリーグの知名度は低いものの、フランスはブラジルと並ぶ「選手輸出国」である。
古くはカンヌ、ル・アーヴルやナント、そして近年ではトゥールーズ、PSG、リヨンといったクラブが優秀な選手を輩出し、その力を示してきた。
イングランド・プレミアリーグでプレーする外国人選手の中で、最も多いのがフランスである。アフリカ系の移民が流入してくることもあって、エリート育成にかけては世界ナンバーワンであるといっていい。
ところが、このエンゴロ・カンテという選手は、そのルートからは完全に外れてしまった男だ。
主に伝えられているのは「ブローニュのユースで育成された」ということだが、彼がそこに入団したのは2010年なのだ。
それまではJSシュレンヌというクラブに所属していた。そして、どこで戦っていたかと言えば、パリの地域リーグである。
2009-10シーズンに『10ゴールを決めて』(ウソみたいだが本当)活躍した彼は、2010年にUSブローニュ・シュル=メールのスカウトを受け、アマチュア契約を結ぶ。つまり彼は19歳までプロチームを持つクラブのユースにすら所属したことがなかったのである。
それからブローニュの3軍チームで地域リーグを戦い、そしてBチーム(CFA2、5部)に昇格し、そして2011-12シーズンについにプロでのデビューを果たすことに成功する。
幸運だったのは、この年にブローニュが降格したことだ。ナショナル・リーグ(3部)でエンゴロ・カンテはレギュラーの座を獲得し、最優秀選手賞にも輝く。もしクラブが2部に残留していれば、新しい選手がやってきてカンテのポジションはなかった可能性もある。