答え
41.この夏、イングランドがウェールズと戦うのはどこ?
EURO2016で同じグループBに入ったイングランドとウェールズ。両国の対戦は6月16日にRCランスの本拠地、スタッド・ボラール=デレリスで行われる。
この試合はグループステージの2節目に行われるため、1節目の試合結果によっては、決勝トーナメント進出のために絶対に負けられない試合となる。
『UEFA.com』によれば、両国の通算対戦成績はイングランドが66勝21分14敗でリード。親善試合を除けば、イングランドが7勝1分0敗と、ウェールズを寄せ付けていない。
EUROでの対戦は通算4回。1968年の予備予選でのホーム&アウェイと、前回のEURO2012の予選におけるホーム&アウェイだ。全ての試合でイングランドが勝利している。
通算成績ではイングランドが圧勝しているが、今回のウェールズは史上最強と呼ばれている。ギャレス・ベイル、アーロン・ラムジーらスター選手の活躍次第ではイングランドに一泡吹かせることも充分あり得るだろう。
42.スティーヴン・ジェラード、フランク・ランパード、そしてデイヴィッド・ベッカムの3人はMLSに移籍した。MLSの1シーズンで最もゴールを奪ったイングランド人は誰?
2014年シーズン、ニューヨーク・レッドブルズのブラッドリー・ライト=フィリップスは27ゴールを決めている。ベッカムは7ゴール(2012年)、デフォーは11ゴール(2014年)、ドワイアーは22ゴール(2014年)。
ブラッドリー・ライト=フィリップスは元イングランド代表でアーセナルのレジェンドであるイアン・ライトの実子。イングランドU-20代表歴を持つFWだ。その名が示す通り、元イングランド代表のショーン・ライト=フィリップスは兄だが、ショーンはイアン・ライトの養子のため血は繋がっていない。
ショーン同様にマンチェスター・シティの下部組織出身だが、トップレベルでは活躍できず。3部クラスでは無双するものの、2部クラス以上では成績を残せなかった。
ニューヨーク・レッドブルズには2013年に加入。2014年に上述の通り27ゴールでMLSゴールデンブーツ(得点王)を獲得している。
なお、設問にあったドム・ドワイアーも日本のサッカーファンには馴染みのない名前だろう。少しご紹介しよう。
Tomorrow! Don't miss ⚽️ pic.twitter.com/eGvIiG0Cu9
— Dom Dwyer (@Ddwyer14) 2015年10月25日
ドム・ドワイアーは1990年生まれの25歳。スポーティング・カンザス・シティに所属しているFWだ。
イングランドのカックフィールドで生まれ、ユース時代はノリッジなどで過ごした。しかし、足を3回折るなど、ユース時代は芽が出なかった。しかし、コンサルタント会社の「Soccer Icon USA」の代表を務めるジョー・マクローリンの目に止まる。ドワイヤーはアメリカでスポーツ奨学金を受けながらサッカーを続けられる道を選択した。
テキサスのテイラー・ジュニア・カレッジに移ったドワイヤーは、そこで2度のナショナルチャンピオンシップ制覇を経験する。37ゴールを記録し、ジュニア・カレッジの年間最優秀選手に。2年後の2011年、サウスフロリダ大学に移りプレーした。
2012年1月、ドワイヤーはMLSのスーパードラフトで、全体の16番目に指名され、念願のプロ選手への道を切り開く。2013年シーズンはオーランド・シティへのローン移籍を経験するが、復帰後の2014年シーズンに大爆発。リーグ戦で33試合に出場し、22ゴールの大暴れでチームにおける立場を築いている。
まだ25歳。イングランドへの逆輸入や、アメリカ代表の選択などももしかしたらあり得るかもしれない。
43.ヴァスコ・ダ・ガマがホームとするブラジルの都市は?
単純に地理の問題だ。ヴァスコ・ダ・ガマはリオ・デ・ジャネイロのクラブだ。かつてJリーグで活躍したビスマルクの出身クラブであり、元ブラジル代表のレジェンド、ロマーリオ、エジムンド、ジュニーニョ・ペルナンブカーノらの出身クラブである。
サッカーだけではなく、フットサル、バスケット、バレーボール、ハンドボール、水泳など、総合的なスポーツチーム。サッカーにおけるタイトルはブラジル全国選手権の制覇が4回。リオ・デ・ジャネイロ州選手権の制覇は23回に及ぶ。コパ・リベルタドーレスも1998年に制覇しており、当時の主力が元リヨンのジュニーニョ・ペルナンブカーノだった。
44.冒険家のヴァスコ・ダ・ガマが生まれた場所はどこ?
ヴァスコ・ダ・ガマつながりの問題。答えはポルトガルとブラジルの2つに絞れたはずだが、歴史の勉強をきちんとしてきた方なら簡単だったはずだ。
冒険家のヴァスコ・ダ・ガマは、1460年頃にポルトガルのシーネスで生まれたという。ヨーロッパからアフリカ大陸を南回りで航行し、インドに上陸した。
その後、2度インドへの航海を実行。ポルトガル国王は航海の都度ヴァスコ・ダ・ガマの功績を高く評価し、報奨を与えた。
ブラジルのサッカークラブであるヴァスコ・ダ・ガマは冒険家の彼にちなんで名付けられ、ポルトガル系の移民によって作られたクラブであるという。