――引退にあわせてキャリア振り返っていこうと思うんですが、まずはサッカーを始めたきっかけから…。
――特徴的なのが、静岡の吉原高校に通ってらっしゃったことですね。サッカーではあまり印象がないのですが…。
サッカーでいえば、ほぼ無名に近いと思いますね。僕もサッカーで入ったわけじゃないんです。推薦で、学力の方で入ったんですね。好きでしたけど、正直プロになるまでの覚悟はなかったです。
――それから、桐蔭横浜大学に進学されますね。
当時は風間八宏さんが監督でした。それもあって練習に参加させてもらったところ、「ぜひ」と推薦をいただきました。その時もそこまでの気持ちはなかったのですが、関東でサッカーやってみようというチャレンジの気持ちでしたね。
――風間イズムを経験されてどうでしたか?
当時はまだ今のフロンターレのようなものはなかったんですが、風間さんのカリスマ性やオーラのようなものは感じましたね。期間は半年ぐらいだったのですが。
――卒業後は地域リーグの町田ゼルビアに加入されますね。
湘南ベルマーレの練習に大学2年生ぐらいの時から参加させていただいていました。
手応えもある程度感じていましたし、感覚も良かったです。ただJクラブならではのいろいろな兼ね合いもあり、自分も怪我が多かったので、進路を選ぶ際に少し大変な時がありました。
町田ゼルビアは当時はまだ地域リーグでしたが、大学が近くて友人もいる…くらいの感覚でトライさせてもらいました。それからすぐに加入させていただきました。
――町田では昇格も降格も経験しました。振り返ってみてそこでの5年間はどうでしたか?
自分のサッカーの原点であり、頂点ですね。「酸いも甘いも」という感覚です。ずっと中心でやらせてもらったというありがたさもありますね。昇格の喜びが2回あり、次の年で初のJ2からの降格。その厳しさを体験できました。本当に楽しかったですね。
――町田では4人の監督の下でプレーしました。印象的だったのはどなたですか?
やはり今町田の監督でもあるポポヴィッチ(ランコ・ポポヴィッチ氏)です。
よく喧嘩もしましたが、それ以上に信頼を置いてくれていたからうまくいきましたね。怒鳴った後に抱きついてくるような方でした。
――さすが、東欧出身の方らしいエピソードですね(笑)