――町田がJFLに降格したあと、2013年に栃木SCへ移籍されますね。

栃木は2年くらい声をかけてくれていましたし、まだJ2でチャレンジしたいという気持ちもありました。後ろ髪引かれるところもありましたけどね。あの決断は辛かったです。

結果的には栃木もすごい戦力がいて、なかなか大変でした。ただそういうことが町田ではなかったので、とても成長できた年だったなと思います。

――1年を過ごしたあと、長野パルセイロへ移籍されますね。そのきっかけは?

当時監督をされていた美濃部さんが気にしてくれていて、声かけてくださったのがきっかけです。

長野パルセイロで監督を務めていた美濃部直彦氏

長野も町田同様…あるいはそれ以上に感慨深いですね。サッカー選手として一番いい年だったので、プレーの面でも精神面でも一番充実した5年間だったと思います。

――長野でもまたいろいろな監督とプレーすることになりましたね。印象的だったのは?

そういう運命なんでしょうね(笑)。本当にすごい監督がたくさんいましたが、やはり美濃部さんだと思います。まさに恩師ですね。

サッカーに対してはとても細かい方ですね。普段はただの明るいオッサンですが、オンとオフの切り替えがすごい。サッカーの考え方だったり、描いてる絵だったり、それはすごく勉強になりましたね。

――2019年にはおこしやす京都ACへ。地域リーグでの2年間振り返ってみていかがでしたか?

おこしやす京都ACはもう1回サッカーを続けられる場を与えてくれました。JFLに昇格するという目標がはっきりしていましたね。

初年度はあと1歩で…あと1歩というか、もう手の届くところまで来たところで逃してしまいました。降格やら昇格やら、いっぱいですね(笑)。

――劇的なサッカー人生でしたね。

逆に言えば、本当にまた火を付けさせてくれてありがたいですね。2年目はコロナもあって難しいものになってしまったので、ちょっと残念でした。本当に可能性のあるチームだと思いますし、これからだと思います。

――それからFC刈谷へ移籍して、今年引退されることになりました。