自分のケガより後輩のケガに絶望
――そんなことはないと思いますよ(笑)。水戸戦の2得点目はゴール裏に走り寄って喜びを爆発させていたじゃないですか。あの瞬間は報われたという感じでしたか。
いや正直、水戸のときは1点目が1-3の状況だったので、決めたときはすぐ次に切り替えていました。
2点目のときはチーム的にすごい得点だったし、勝利だったというのはあるんですけど、正直「やってやったぞ」みたいな感覚があんまりなくて。
特にあの状況は、相手のミスで(自陣)ゴール前から(相手)ゴール前までスプリントして点を取ったんですけど、いわきでそういうトレーニングをしているんで、それが結構身に付いていました。もう1回やれと言われたらもう1回できるゴールだし、そこまですごいと個人的には思っていないです。
栃木(SC)戦のゴールが1番難しいゴールというか、自分でもびっくりしたゴールでした。水戸のときは当たり前という感じだったと思います。
――靭帯の負傷はケガする前の状態に戻れるかという恐怖の戦いだったと思います。
自分の性格的に、オンとオフの切り換えがうまいけど、最初は信じられなかった。だけど入院も初めてだったんで、入院生活がちょっと楽しみだなというのもありました(苦笑)。手術も初めてだったし、どんな感じなんだろう。ちょっと楽しみって言ったら変ですけど、その手術に対してのことしか考えていなかった。
リハビリも「これで歩けるようになるってすごいな」と思いながらリハビリしていたので、そこまで絶望はなかったです。
ただリハビリ期間が3、4か月ぐらい経って、ちょっと走れるようになったときぐらいが意外ときつかった。「この状況で走れんのかな?」、「ピッチに戻って激しいコンタクトプレーは絶対無理だろ」と思った。ちょっときつかったですね。夜寝るときに不安になって、ちょっと泣くことがたまにあったけど、きつかったことはそこぐらいですかね。
あとはただ入院生活を楽しもう、リハビリ終わったらNETFLIXを見ようぐらいしか考えなかった(苦笑)。(メンタルの切り替えは)うまいと思います。
――それだけに復帰戦でのゴールの喜びはひとしおですね。
そうですね。復帰戦が大宮戦になるかもしれないと思ったときに、大宮のピッチはすごく好きだし、大宮という歴史があるチームとやれることがすごく楽しみだった。
そこで絶対点を取ろうと思って、残り2、3カ月ぐらいリハビリしていた。(ゴールしたときは)めっちゃうれしかったですね。
――大学の後輩の嵯峨理久選手が疲労骨折しましたけど、心配していますか。
ちょうど自分が大宮戦で復帰したんですけど、理久はその前の(ジェフユナイテッド)千葉戦でケガをした。ちょうど入れ替わりになって一緒に出られなかった。いざ理久が帰ってきたときに2試合、(ヴォルティス)徳島戦と(ザスパクサツ)群馬戦しか出られなくて。
特に群馬のときは相手がすごく引いてくるチームだったので、そこに対してフラストレーションもあって負けている状況でした。そこで理久が怪我をして担架で運ばれたときは、自分の怪我以上にすごく絶望したというか、多分理久ができないことは相当やばいんだろうなと分かっていたので。あの負けと理久のケガが続いたときは、自分のケガより絶望しましたね。