新チームとの契約が白紙、コロナ禍でキャリアの危機に

新型コロナウイルスの世界的な流行の影響もあり、思っていたような出場機会を得られないままモルナル・バールとの契約を解除した行方。悔しさを糧に、同選手が新たな挑戦の地に選んだ国はウクライナだった。

しかし、またしても新型コロナウイルス流行の弊害を受けた。

同国の就労ビザが下りず、同国2部FCクリミン・クレメンチュクと交わした契約が白紙になってしまった。

2020年7月にモンテネグロを離れてから2023年8月にベラルーシ2部のFKアシポヴィチに入団するまでの約3年間、正式な所属クラブがない状況で、行方はどのような生活をしていたのか。空白の3年間について、選手本人が明かしてくれた。

──モルナル・バール退団後、ウクライナのチームとの契約が頓挫したと聞きました。ビザが下りなかったという話は事実でしょうか。

「そうですね。そのまま(モルナル・バールとの)契約が打ち切りになって、モンテネグロ人のチームメイトがウクライナ人のエージェントにつなげてくれて、ウクライナに行きました。(同国)1部のチームにも練習参加しましたが、最終的に2部のクレメンチュクと契約することになりました。

(チームから)『いまウクライナで労働ビザが発給できないから、隣国(ポーランド)のウクライナ大使館で申請してください』と言われて、バスでポーランドに行きました。そうしたら国境で『コロナの渡航制限で入国できない』って」

──それは焦りますね。どのようにしてその状況を切り抜けたのですか。

「ウクライナにビザなしで滞在できる期間が90日間で、そのとき僕はすでに3ヶ月ぐらい(ウクライナに)いたので、1度(国外へ)出ないといけなかったんです。ポーランドに入国できず、どうしようもないので、エージェントがベラルーシ行きの飛行機を手配してくれて、一旦ベラルーシのウクライナ大使館でビザを申請しました。

そうしたら大使館から『いまはコロナ禍なので外国人に対してビザを発給していません』と言われたんです。当然、労働ビザが下りないとプレーできないので、その後契約も白紙になりました」

コロナ禍のウクライナ・ポーランド国境のシェヒニ検問所(Getty Images)

──クレメンチュクと契約が解消になった後、ベラルーシのアシポヴィチに正式に入団するまで3年ほど期間が空きますが、その期間はどのような生活を送っていたのでしょうか。

「ウクライナの労働ビザを申請するためにベラルーシに行った際、体を動かすためにベラルーシのチームに練習参加していました。ベラルーシリーグは特殊で、2部以下のリーグは外国人選手がプレーできないんです。外国人がプレーできる条件の一つとして、(ベラルーシの)大学に在学しているステータス(身分証明)が必要でした。エージェントから『大学に行ってみたら?』と冗談半分で言われたのですが、僕は『それもいいな』と思って、ベラルーシの大学(ベラルーシ州立経済大)に通うことになりました。最初は大学生になれば(同国のリーグで)プレーできると思っていたのですが、本学生1年の授業を修了して2年に進級できればプレーできる資格がもらえるみたいなので、空白の期間があったという感じです」

──大学に通っている期間はどのようにしてコンディションを保っていましたか。

「地元のチームの練習に参加していました。エージェントがいろいろ面倒を見てくれました」

こうしてベラルーシ州立経済大に進学し、同校の学生として約1年間を過ごした行方は、2023年8月にFKアシポヴィチに入団した。

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