引退を考えた4ヵ月間

とはいえ、いつまでもポジティブでいられるほど23歳の心は強くなかった。

トライアウト終了後は、3月まで各Jクラブの練習に参加。地域リーグをはじめ、オーストラリアやアメリカの海外クラブからも話はあったが、Jリーガーとして戦いたかった。

「海外に行った後にまたJリーグに戻れるかというと難しいと思いましたし、自分の場合は地域リーグだといろいろな情熱が消えてしまうと思いました。中途半端になるのが嫌でしたし、複雑な思いでした」

Jクラブからのオファーはなかなか届かなかった。

クロスボールをあげる土肥(提供:ガイナーレ鳥取)

出身地の大阪府堺市に戻っていた土肥はパーソナルトレーニングや走り込み、公園でのボールを使った練習でコンディション維持に努めていたが、何しろ一人では限界がある。体重はピークの74キロから4キロ減少。好転しない状況からサッカーへの情熱も消えそうになった。

「もう(サッカーを)やめようかなみたいな。日によって、コロコロと気持ちが変わっていましたし、本当にいろいろと迷っていました。周りの選手にも相談はあまりしていなくて、相手選手側からも自分に連絡をしづらかったと思います。『なんて連絡をしていいか分からなかった』と後々に言われました」

居場所をなくした23歳はどん底にいた。

パスコースを探す土肥(提供:ガイナーレ鳥取)

気が付けばトライアウト終了から2カ月が経過し、Jリーグ2025年シーズンが開幕。もがく土肥とは対照的に広島は『FUJIFILM SUPER CUP2025』を制し、J1優勝に向けて好発進していた。

古巣の勝利であっても、自身の置かれている状況と照らし合わせると手放しには喜べなかった。それでも、ふとしたときに結果を追っている自分がいた。

「やっぱりサッカーが好きなんだなって。無所属期間にSNSとかでJリーグが流れてくるじゃないですか。試合や結果を見るのもつらかったですけど、なんやかんや見てしまう自分がいた。そこでサッカーへの気持ちを再確認できました。これまでお世話になった方々や両親からも『まだサッカーをやってほしい』と言ってもらえた」とギリギリのところで踏ん張り続けた。

そして3月末、鳥取の練習に計4日間参加した。

最終日にはトレーニングマッチが行われ「早くこの4日間が終わってくれ」と不退転の覚悟で挑んだ。長い間試合から遠ざかっていた土肥のコンディションは万全ではなかったが、無我夢中でボールを追った。

パスで攻撃にリズムを生み出す土肥(提供:ガイナーレ鳥取)

それから約3週間後、土肥は契約書にサインし、4月22日に加入が発表された。

練習参加については「本当に覚えていないんです。とにかくしんどかったし、ラッキーでした」と振り返るほど、崖っぷちだった。

既にシーズンは始まっており、鳥取は4月20日に行われたJ3第10節時点で勝点7の最下位(20位)に沈んでいた。

新天地に飛び込んでいく覚悟こそ必要だったが、「もうやるしかねぇなと思いました。サッカー選手としてまた輝きたかったですし、ここでやめたらもうサッカー選手には戻れない」と、生き残りをかけて戦うと決めた。