21日、ワールドカップに向けたセルビア代表候補が30名から24名に絞り込まれた。GKが4人含まれているため、フィールドプレイヤーについてはこの20名で確定と見られる。
FWでは、4月25日のリーグ戦で太腿の筋肉を痛めていたラゾヴィッチが残ったほか、日本との親善試合で2得点を挙げた今季のセルビアリーグMVP、ムルジャがメンバー入りを果たした。
GK | ||
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ヴラディミール・ストイコヴィッチ (Vladimir STOJKOVIト蘀) | スポルティング・リスボン(ポルトガル) | 1983.7.28 |
アンジェルコ・ジュリチッチ (Anト粗lko ト振RIト栗ト蘀) | ウニオン・レイリア (ポルトガル) | 1980.11.21 |
ボヤン・イサイロヴィッチ (Bojan ISAILOVIト蘀) | ザグウェンビェ・ルビン (ポーランド) | 1980.3.25 |
ジェリコ・ブルキッチ (ナスeljko BRKIト蘀) | ヴォイヴォディナ・ノヴィ・サド | 1986.7.9 |
DF | ||
アントニオ・ルカヴィナ (Antonio RUKAVINA) | 1860ミュンヘン (ドイツ) | 1984.1.26 |
ネヴェン・スボティッチ (Neven SUBOTIト蘀) | ドルトムント (ドイツ) | 1988.12.10 |
アレクサンダル・ルコヴィッチ (Aleksandar LUKOVIト蘀) | ウディネーゼ (イタリア) | 1982.10.23 |
アレクサンダル・コラロフ (Aleksandar KOLAROV) | ラツィオ (イタリア) | 1985.11.10 |
イヴァン・オブラドヴィッチ (Ivan OBRADOVIト蘀) | サラゴサ (スペイン) | 1988.7.25 |
ブラニスラフ・イヴァノヴィッチ (Branislav IVANOVIト蘀) | チェルシー (イングランド) | 1984.2.22 |
ネマニャ・ヴィディッチ (Nemanja VIDIト蘀) | マンチェスター・ユナイテッド (イングランド) | 1981.10.21 |
MF | ||
ラドサフ・ペトロヴィッチ (Radosav PETROVIト蘀) | パルチザン | 1989.3.8 |
ミロシュ・クラシッチ (Miloナ。 KRASIト蘀) | CSKAモスクワ (ロシア) | 1984.11.1 |
ミロシュ・ニンコヴィッチ (Miloナ。 NINKOVIト蘀) | ディナモ・キエフ (ウクライナ) | 1984.12.25 |
ゴイコ・カチャル (Gojko KAト窟R) | ヘルタ・ベルリン (ドイツ) | 1987.1.26 |
ズドラフコ・クズマノヴィッチ (Zdravko KUZMANOVIト蘀) | シュトゥットガルト (ドイツ) | 1987.9.22 |
ゾラン・トシッチ (Zoran TOナꀀIト蘀) | ケルン (ドイツ) | 1987.4.28 |
ネナド・ミリヤシュ (Nenad MILIJAナꀀ) | ウォルヴァーハンプトン (イングランド) | 1983.4.30 |
デヤン・スタンコヴィッチ (Dejan STANKOVIト蘀) | インテル (イタリア) | 1978.9.11 |
ミラン・ヨヴァノヴィッチ (Milan JOVANOVIト蘀) | スタンダール・リエージュ (ベルギー) | 1981.4.18 |
FW | ||
ニコラ・ジギッチ (Nikola ナスIGIト蘀) | バレンシア (スペイン) | 1980.9.25 |
マルコ・パンテリッチ (Marko PANTELIト蘀) | アヤックス (オランダ) | 1978.9.15 |
ダンコ・ラゾヴィッチ (Danko LAZOVIト蘀) | ゼニト (ロシア) | 1983.5.17 |
ドラガン・ムルジャ (Dragan MRト植) | ヴォイヴォディナ・ノヴィ・サド | 1984.1.23 |
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