――『シティにはいつだってキンクラーゼみたいな選手がいるんだ、輝ける天才ってやつだね。これがシティの戦略だ、”1人の天才、そのプレイを見守る残りの6人”』ノエル・ギャラガー、2009年にCity magazineのインタビューで――

小国ながら、旧ソ連時代から名選手を輩出してきたグルジア。かつてこのカフカスの国に、イギリス中を驚かせ、かのバルセロナやレアル・マドリーのスカウトを走らせた天才がいた。それが「キンキー」こと、ゲオルギ・キンクラーゼ。マンチェスター・シティのファンとして知られる元oasisのノエル・ギャラガーが「俺のヒーロー」と絶賛し、今でもインタビューの折に思い出を語るドリブラーである。

1973年トビリシに生まれたゲオルギには、少々変わった父がいた。息子をなんとしてもサッカー選手にしたかった父ロビンゾンは、しばしばゲオルギにうさぎ跳びで家の中を歩かせるというスパルタ教育を課した。それが功を奏したのかは定かではないが、ゲオルギは名門ディナモ・トビリシのユースチームに入団し、順調にサッカー選手として成長していった。そして1995年、ウェールズ代表との試合で芸術的なループを叩き込み、敵地カーディフでウェールズを破る原動力となったゲオルギのもとに、イングランドからオファーが届いた。それが、マンチェスター・シティである。

ゲオルギはすぐにメイン・ロード(マンCのホームスタジアム)のアイドルになった。マラドーナを彷彿とさせる高速ドリブルで幾度となくスーパーゴールを叩き込み、メイン・ロード(かつてのマンCのホーム)の観客を喜ばせた。彼のドリブルはいたってシンプルで、細かいタッチでボールを運びながら相手に正対し、重心の逆をとって一気に加速し、抜き去る。複雑なフェイントは一切なかったが、正確なボールタッチと瞬発力の前に、DFはまるで素人のように抜かれていった。

ゲオルギ・キンクラーゼは、2006年にルビン・カザンで引退した。その輝かしい技巧にも拘わらず、キンクラーゼは「カルトヒーロー」の域を出ない選手であった。しかし、小さなグルジアが素晴らしい選手を生み出したこと、そして彼が多くのプレミアリーグ・ファンに今なお残る鮮烈な印象を与えたことは事実である。


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