Qoly読者の皆さん、こんにちは。

こちらでのコラムがすっかり空いてしまい、本当にすいません。もっとサクサクとネタを御提供できればいいのですが……。

さて、日本代表はいろいろあったオーストラリア戦で引き分け、W杯本大会出場を決めました。この試合、私もFIFA.comの速報担当者として取材させていただくことができました。日本サッカー史上初の試合を見届けて、私の任務も無事に一区切りです。

試合内容の分析は解説者やQoly読者の皆さんにお任せしますし、オーストラリア代表のオジェック監督と日本代表のザッケローニ監督の記者会見はスポーツナビで詳細な内容を紹介されていますので、こちらをご覧下さい。


オジェック「日本を抑えることはできた」(スポーツナビ)

ザック監督「本田の交代は考えた」(スポーツナビ)


そこで、今回はピッチの外側で起こった出来事を少しだけ紹介させていただきます。国内のマスメディアや有名なライターさん達と違う、「変わったレポート」をお楽しみいただければ嬉しいです。

 

◎勝ち点1でフレンドリーなオーストラリア側

オジェック監督の会見は後半ロスタイムの失点で勝利を逃した監督とは思えないほど和やかでした。日本語であいさつをしながら記者会見場に入ると、浦和レッズでの監督当時(1995-1996年、2007-2008年)に親交があった日本人のベテランライター達と笑顔で立ち話をしてから席に着きました。これはスポーツナビの記事でも出ていますが、最初に監督自身が試合の感想を語る中で口調が変わり、「マンシャフト」という単語が出てきた時に私もアレ?と気付いたら、やっぱりドイツ語でした。日本サッカー協会の通訳は優秀な方ですが、このいたずらには困った顔をされていました。FIFAの技術委員長もしていたオジェック監督は英語も十分に話せますが、これを聞いていたドイツ語に堪能なライターの一人が即席の通訳をやりましょうかと乗ってきた点も含めて、とてもリラックスしていました。会見終了後ももう一度、知人のライター達と健闘をたたえ合う時も、退出する際に御礼を言う私と握手をする時も、オジェック監督の笑顔は絶えませんでした。

話は前後しますが、私はアレックス・ブロスケとミレ・ジェディナクの欠場理由について質問し、ケガのせいだとオジェック監督が答えたのはスポーツナビでの記事の通りです。最終予選ではここまであまりスタメンが変わらなかったオーストラリアでしたが、今回の二人は無理をさせなかったようです。会見の前後に何人かのオーストラリア人記者と話しましたが、元々の古傷が悪化したようで、特にアレックスはグロインペインという事です。

それでも彼(女)らはオジェック監督同様、この結果を前向きにとらえていました。各種の事前予想ではオーストラリア不利でしたし、グループ首位の日本とのアウェー戦で勝ち点1でも持ち帰れたのは貴重でしょう。他のアラブ3ヶ国と違って、日本との関係が深いオーストラリアのマスメディアは日本駐在の特派員も多く、しかもかなりの人は日本語ができるので、一緒に日本のW杯出場決定をお祝いしながら残り2試合を連勝して自分達も続こうという雰囲気がありました。ここまでの成績に厳しい声も聞こえていましたが、この試合については彼らも概ね満足だったようです。オジェック監督が語気を強めたのは、なぜジョシュア・ケネディではなくダリオ・ビドシッチを使ったのかと聞かれた一瞬だけでした。

私はウズベキスタン戦には行かなかったのですが、厳戒モードだった北朝鮮戦や実力差に向こうの監督が諦めていたタジキスタン戦の3次予選と比べると、監督会見でも最終予選の方が全般的に穏やかだったのは、日本の好調さのおかげだったかもしれません。

 

◎誠実すぎるザッケローニさん

日本代表のホームゲームでは、まずアウェーチームの監督が記者会見をして、その後にホームの監督が会見室に現れます。アウェー側会見は比較的早く終わる事も多いのですが、オジェック監督だと質問も両国の記者からどんどん出て、珍しく15分も続きました。会見が始まる前にミックスゾーンの様子をのぞいたら、日本よりも先に出てきたオーストラリア選手が質問を受けていて、特にケネディには多くの記者が集まっていました。この人達に身体が二つあれば、もっと長くなったでしょう。

記者会見は完全にピッチやスタンドが見えない場所で開かれるので、セレモニーの様子は分かりませんが、盛り上がっているのは報道陣も分かっていました。ですので、いつもの背広ではなく、初めてTシャツ姿で登場したザッケローニ監督を暖かく迎えましたし、「事情があって」という釈明にも笑いが起こったのです。

最近は生中継やノーカット配信なども増え、記者会見がどんな段取りで進むかをご存知の方も多いでしょう。大臣や企業トップの会見だと質問できる人数は限られ、それはいつも特定の会社に割り当てられるのが普通です。だから「自由報道協会」のような動きも生まれるのですが……おっと、これは別の話ですね。

一方、ザッケローニさんは誠実な方です。もちろんある程度の制限はかかりますが、できるだけ多くの質問に答えようという姿勢をずっと守っています。それは、欧州でも有名な監督の声を伝えたいというアウェー側のメディアにも、震災や原発事故の後に日本への愛情をさらに深めたイタリア人指揮官を追い続ける母国の記者にも同じです。そして繰り返しますが、日本サッカー協会の通訳は優秀ですから、監督が語るサッカーへの熱意をそのまま伝えてくれます。

最後も拍手で送られて記者会見が終わった時、時計は23時近くになっていました。聴き終わった時には30分ぐらいかと思っていたザッケローニ監督の話は、実は45分。それだけ充実した会見だったのですが、記者の皆さんはこれからが大変です。会社の同僚やフリーランスの仲間に手分けしてもらった選手のコメントを加えながら、試合のレポートをまとめないといけません。記者控室にはキーボードを叩く音だけが響いていました。

 

さて、ここで6月4日の23時台、埼玉高速鉄道浦和美園駅の時刻表をご覧下さい。

japan-vs-australia

埼玉高速鉄道では試合後のお客さんが集まり始める21時48分に最初の増発列車を出し、その後はほぼ4分間隔で出発します。ただ、さすがに23時台になると増発列車も減ってきます。駅への入場規制ももう解けていました。

私は速報記事を書く必要はないので、公式記録を受け取ったらすぐに埼玉スタジアムを出たのですが、駅に着いたのは23時30分過ぎでした。あと5分早ければ私の住む川崎市内まで帰れたのですが、42分発だと途中でJRに乗り換えても多摩川は越えられません。奥沢は高級住宅地で有名な田園調布の一つ手前です。

これでも私は早退した方で、スタジアムにはまだまだ多くのメディア関係者がいました。本当の終電になる55分発だと、駒込でJR山手線に乗り換えれば東京・新宿・渋谷といった都内のターミナル駅までは戻れますが、皆さんの様子だと、記事を書き上げてこれに乗れたかはとても疑問です。機材が多いカメラクルーと一緒に車で戻れるテレビ局と違い、カメラマンもジェラルミンケースを持って電車で来た新聞社の記者や、パソコンで来るフリーランスのライターはどうなったんだろう?と思いながら、奥沢まで車で迎えに来てもらった家族と話していました。関東以外の方はあまり御存知ないでしょうが、浦和美園はスタジアムができてからマンションやショッピングセンターができた場所で、スタジアムの周辺にはほとんど泊まる場所がありません。

こういう苦労もしながら、日本代表担当記者の皆さんはこの後もドーハ経由でブラジルへ向かいます。日本グランプリがフジテレビの地上波で中継されていた頃、解説の今宮純さんが「F1サーカス」というフレーズを使っていましたが、選手がスタッフやメディアを引き連れて世界を回るという点では、少し似ていますね。

 

◎南シナ海での次への戦い

スタジアムのメディア受付で資料をいただく時、今日の取材者のリストが眼に入ります。オーストラリア戦で気付いたのは、森本高史さんが御欠席の連絡を入れたという事でした。日本のサッカーメディアでアラビア語ができるのは森本さん以外にすぐ思いつかないので、特に中東諸国が相手の場合は本当に貴重なのですが。


森本高史さんのツイッターアカウント:@SumidaMongolia


男子の「SAMURAI BLUE」が初めてホームでのW杯出場権を取ろうとする歴史的な試合を蹴って森本さんが向かったのは、香港でした。森本さんはNHKでも紹介された、モンゴルの少年サッカークラブ「FC墨田ウランバートル」の会長として有名ですが、「フィリピンサッカー協会テクニカルコンサルタント」としてフィリピン代表の国際Aマッチを見るため、モーリシャスでのFIFA総会取材の後、バンコク経由で香港に入っていました。

この試合のゴールシーンと試合終了後のハイライトは、この試合を中継していたフィリピンのテレビ局ABS-CBNがYoutubeで無料配信しています。また、香港サッカー協会の公式サイト(http://www.hkfa.com/en/index.php)では英文のレポートも読めます。


試合結果は0-1。18分、DFのクリアミスをヘディングで押し込んだジェームズ・ヤングハズバンドのゴールをフィリピンが守り抜きました。香港は67分、陳肇麒が得たPKを本田のようにゴール中央に蹴りましたが、こちらはフィリピンGKのニール・エザリッジが足でブロックしています。FIFA.comのデータベースによると、フィリピンは7試合目の対戦で香港に初勝利です。長くサッカー弱小国だったフィリピンはイングランドで育ったフィリピン系の選手に注目し、チェルシーの下部組織にいたエザリッジやヤングハズバンド等を代表に加えました。そして2011年1月、ゲルト・エンゲルスの下で京都パープルサンガのコーチを務めていたドイツ人のミヒャエル・ヴァイスが監督になると、2012年には3月にAFCチャレンジカップで初の3位、12月には東南アジア選手権であるスズキカップで2010年に次ぐ準決勝進出を果たしました。2000年代前半は190位台まで落ちていたFIFAランクでも2013年4月のデータでは史上最高の143位まで上がり、151位まで落ちた香港を逆転しています。

もちろん、フィリピンが東南アジアの枠を超えてアジアのビッグゲームに登場するにはまだ長い道のりがあるでしょう。しかし、7日にはインドネシアが旧宗主国のオランダをジャカルタに迎え、オランダ代表はそのまま北京に移動して11日に中国と対戦します。ブラジルへの道は2次予選でクウェートに敗れて消えたフィリピンも、3次予選を突破できなかったインドネシアや中国も、ロシアに向けた新しい準備を既に始めているという事をお伝えして、このレポートを締めくくります。

お読み頂きまして、ありがとうございました。


筆者名:駒場野/中西 正紀

プロフィール:サッカーデータベースサイト「RSSSF」の日本人メンバー。Jリーグ発足時・パソコン通信時代からのサッカーファン。FIFA.comでは日本国内開催のW杯予選で試合速報を担当中。他に歴史・鉄道・政治などで執筆を続け、「ピッチの外側」にも視野を広げる。思う事は「資料室でもサッカーは楽しめる」。
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