アズーリはポルシェの呪いに?
相性が良い国があるのなら、当然悪い国もあります。その代表例は、イタリア。
<表5> 過去の「午年」W杯でのイタリアの成績
1990年に傷だらけのマラドーナが引っ張るアルゼンチンに自国開催での優勝を阻まれたのも、2002年には逆に究極のアウェーに呑み込まれてアン・ジョンファンのゴールデンゴールを許したのも、さらに1966年に北朝鮮に歴史的勝利を献上して帰国した時にローマの空港で腐ったトマトの雨を浴びたのも、みんなアズーリの黒歴史です。銅メダル1個に4位1回は、普通の国なら十分な成績なのですが……。
イタリアと「馬」なら、フェラーリの「跳ね馬」でしょうか。でも、あちらは赤いですね。フェラーリ社の公式サイトでは、エンブレムの由来は第一次大戦で活躍して戦死したイタリア空軍のエースパイロット、フランチェスコ・バラッツァが乗った戦闘機にあり、1923年に彼の父親から譲り受けたとしています。これは撃墜したドイツ空軍機のパイロットが付けていた出身地・シュトゥットガルト市の馬の紋章が元だったという説があります。一方、市の紋章をそのまま使ったのが地元企業のポルシェ社。数多くのレースやスポーツカー市場でフェラーリとバトルを繰り広げてきたライバルです。
100年前の戦争では勝ったイタリアも、午年のカルチョではドイツにやられっぱなしです。今さらユニフォームを赤くするわけもないでしょうが、今回のブラジル大会ではこの失地を挽回できるでしょうか。
凱旋できないル・ブルー
ところが、もっと悪い国がありました。イタリアと同じ青いチーム、フランスです。
<表6> 過去の「午年」W杯でのフランスの成績
2002年はソウルでの開幕戦に敗れ、そのまま未勝利で終わったのは覚えていましたが、その前の午年、「将軍」ミシェル・プラティニが去った後の1990年にはイタリアに行ってすらいませんでした。その前も、ちょうど好成績の時期の谷間にはまっています。2014年には「午年史上初」の決勝トーナメント進出がかかります。
もちろんフランスにも「馬の文化」はあります。何と言ってもオルフェーブルがあと数十mまで迫った凱旋門賞、それに今でも馬具を作っているエルメス。ただ、レ・ブルーのこの不出来を見ると、フランス人はやっぱり「フットボールは別物」と思っているようですね。
こちらは愛馬と共にイタリアで勝利した本物の将軍。
ダヴィッド作『アルプスを超えるナポレオン』