では、クイズの答えです。
問1の正解は、「アデマール・ペレイラ・マリーニョ」。フットサル界の恩人、マリーニョさんですね。18歳でクルゼイロとプロ契約をした後、21歳の時に札幌大学へ留学し、卒業後は純粋なアマチュアリーグだったJSLのフジタ工業、今の湘南ベルマーレの前身へ入団しました。そしてゲームメーカーとして、フジタにとっての初優勝となる第57回と、その2年後の第59回、2度の優勝に貢献しました。その後に入団した日産自動車でも2度(第63回・第65回)天皇杯を獲得しています。
調べれば出てくる問1に比べて、問2の方が難しかったかもしれません。
こちらは「マルセロ・バロン・ポランクジック」、バロン選手が正解でした。
<表9> バロンの天皇杯試合数・得点数
バロンが得点ランキングで2位まで食い込めたのは、もちろん第78回大会の10得点が理由です。日本サッカー協会が調べた限り、1大会でこれほど取った選手はいなかったようです。
当時の甲府はJFLだったので、1・2回戦で都道府県予選を勝ち上がった地域リーグや県リーグのチームを相手にゴールを稼ぐチャンスはありました。実際、バロンは1回戦の川副クラブ(佐賀、県1部)から2得点(6-0で勝利)、2回戦の道都大学(北海道、道大学)からは4得点(6-1で勝利)を挙げています。その2年前、天皇杯初試合で2ゴールを奪ったのも1回戦の川副クラブ戦でした。
この大会のポイントは3回戦でした。2部制移行前の最後のJリーグで年間9位だったC大阪を相手に4ゴールの大活躍でした。試合も森島寛晃の2ゴール(最終的にはハットトリック達成)で先行されたのを逆転し、6-4で勝利しています。この試合後、セレッソ側では翌シーズンの契約延長が内定していた松木安太郎監督の退任が発表されました。激怒した鬼武健二社長による事実上の解任です。
バロンは2001年に移籍した清水エスパルスで天皇杯の全5試合に先発し、そのうち4試合でゴール。特に決勝では延長前半、98分にクロスボールを押し込むVゴールを決めて清水に初の天皇杯をもたらしました。天皇杯決勝でのVゴールは、この前年にフリーキックで鹿島の年間三冠を決めた小笠原満男とこのバロンだけです。そして、対戦相手はまたC大阪でした。C大阪は年間順位16位(最下位)でJ2降格が決まった後に奮起し、この決勝でも0-2の80分から森島のゴールとユン・ジョンファンのPKで追い付きましたが、最後に力尽きました。
2003年、会長になっていた鬼武氏の下で1年でのJ1復帰に成功したC大阪が補強したのは、清水との契約が切れたそのバロン。大久保嘉人との2トップを組み、天皇杯でも4回戦(ベスト16)ではG大阪戦と準々決勝の神戸戦で2点ずつ決めましたが、自分にとってもクラブにとっても2年ぶりの決勝では動きを封じられ、磐田に優勝を奪われました。
バロンはこの試合がC大阪での最終戦となり、この後は3年で5クラブに在籍する(2004年は7月にJ2の甲府→鹿島、2006年は6月に神戸→福岡)するという珍しい記録を残した後、2006年の福岡を最後に、通算で10シーズンいた日本から離れました。バロンの天皇杯最終試合は同年の第86回、4回戦の京都戦です。
まだ去年の積み残しがありますが(苦笑)、今回はこの辺で。
今年もこんな感じて、小ネタを挟んで、硬軟取り混ぜながらいろいろなネタをお届けしようと思いますので、改めまして、どうかよろしくお願いします。
2014年が皆さんにとって良い年でありますよう。
筆者名:駒場野/中西正紀
サッカーデータベースサイト「RSSSF」の日本人メンバー。Jリーグ発足時・パソコン通信時代からのサッカーファン。FIFA.comでは日本国内開催のW杯予選で試合速報を担当中。他に歴史・鉄道・政治などで執筆を続け、「ピッチの外側」にも視野を広げる。思う事は「資料室でもサッカーは楽しめる」。
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