以下がその一覧である。

2度の降格:
小林伸二 (モンテディオ山形2011・徳島ヴォルティス2014)

J2降格を2回以上体験している監督は小林伸二監督だけとなった。では、小林監督は2度もクラブを降格させたダメ監督何だろうか、いや、それは違う。彼は、J2の小さなクラブを指揮しJ1に3度昇格(こちらも最多)を経験させている。つまり、J1クラスから見ると予算の少ないチームを昇格させるが、残念ながらJ1残留を果たせなかったといえる。

通常、降格ラインに低迷するチームは監督を挿げ替えている。しかし、小林監督が指揮しJ2降格の悲劇を味わった2014徳島、2011山形では共に1シーズン監督を務めあげている。これは、フロントや選手から任されている証であろう。

では、逆にチームを”途中”で解任されたためにJ2降格を直接見届けたわけではないが、降格チームをそのシーズン率いたという観点も加えてみたのが以下である。

3度の降格:
小林伸二(上述のモンテディオ山形2011・徳島ヴォルティス2014+セレッソ大阪2006)

2度の降格:
大熊清 (FC東京2010・大宮アルディージャ2014)
三浦俊也 (コンサドーレ札幌2008・ヴァンフォーレ甲府2011)
石崎信弘 (東京ヴェルディ2005・コンサドーレ札幌2012)

途中解任のデータを加えると、大熊清監督 、三浦俊也監督 、石崎信弘監督の3名が該当となった。この3名は昇格ランキングにも上位で登場した監督たちである。彼らは小さなクラブを昇格させて・残留争いを託された監督であるということがより明確となった。

J2が生まれてから15年の歴史を紐解くと、気が付くとJリーグの監督にもいくつかの役割に分かれた現状があることがわかった。優勝請負人、育成メイン、昇格&残留争い・・・欧州のリーグでは当たり前になされている役割分担がJリーグでも今や明確になっているといえる。

全チームが「目指せ優勝!」というのは簡単なことだが、現実路線の選択はクラブを長く存続させ安定した基盤を作っていくためにも必要なこと、来シーズンも昇格・残留争いをしているJチームのピッチでは大声をあげて選手に指揮を送る”昇格・残留請負人”の姿が見られるだろう。

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