MLSの新興クラブ、オーランド・シティを牽引するカカ。
ミラン時代にはUEFAチャンピオンズリーグを制し、2007年にはあのバロンドールも受賞している。
そんなカカには、マンチェスター・シティ移籍に近付いた瞬間があったそうだ。
"Negotiations went very far."
Kaka reveals which Premier League side he was on the verge of joining - https://t.co/RtVHZ8p6ns pic.twitter.com/OfFU4R4qDX
— Squawka News (@SquawkaNews) 2017年10月5日
具体的な話があったのは2009年1月。
マンチェスター・シティはカカの獲得に1億ポンド(およそ120億円)を用意したものの、その移籍は実現せず。結局カカはミランに残留し夏の移籍でレアル・マドリーへと渡った。
しかし、カカとシティの交渉はあと一歩のところまで進んでいたようだ。当時の状況を明かしている。
カカ(オーランド・シティ)
「交渉は非常に先の部分まで進んでいた。
シティと私を引き離した唯一のことは、私が下した最終的な決定だった。
(交渉は)あらゆる数字とより具体的な詳細が話し合われる状態にまで達していた。オファーされた給与はミランで得ていたものよりそれはもう遥かに高いものだった。
そして私は、イングランドでのプレーがどんな感じになるか、この新しいクラブでの日常がどんなものなのか、そして子供と妻が故郷に帰るのがどれだけ困難なものになるかを疑問に抱いている自分に気付いた。
そうした全ての思いが頭の中で渦巻いたのさ。
正式なオファーがミランに届くまで、シティが私の獲得に興味を抱いているなんて全く考えたこともなかった。彼らはミランに直談判したんだ。
私は、自分がシティに行くのにそこまで適した時ではないという結論に至った。そして、その主要な理由はチーム構成に関するプロセスが不透明だったからだ。
チームがどのように刷新されるのか私には分からず、それが機能するのか確信を持てなかった。
私はヨーロッパで最も歴史があって成功したクラブの一つと、自らが最初のビッグプレーヤーになるであろう新しいプロジェクトが始まったばかりのチームの入れ替えを求められていた。
ミランに残留するのがより安全だったんだ」
【Qolyインタビュー】パリ五輪出場の東京ヴェルディMF山田楓喜、トッテナムのクルゼフスキを「自分の究極系」と語るワケ