「鎌倉インテル」というアイデアの原点

「2012年からJリーグのアジア戦略が始まり、その中心にいる山下修作さん(※現在は公益社団法人日本プロサッカーリーグ国際部長・パートナー事業部長)がいました。彼も元々バックパッカーで、発展途上国の支援が必要な子どもたちにJリーグのユニフォームを配る企画を行っていたんです。

そうしたら、そこにASEANの経済成長とサッカーの発展がかみ合いだしました。現在は北海道コンサドーレ札幌のチャナティップ選手による、タイと北海道のコラボレーションという成功事例も生まれてきていて、アジア戦略がある程度軌道に乗っていますが、当時はまだ駆け出しのタイミングでした。

僕としては直感的に、『これは面白いぞ。サポートというのはおこがましいが、自分も何か力になれないか』と感じていました。そこでアジアサッカー研究所を立ち上げて法人化し、Jクラブのアジア戦略の支援を開始したんです」

今では官公庁など様々な団体と連携しているJリーグ。当時はその走りの時期だった(※写真は上記の山下氏が『海外ビジネスEXPO2019東京』で行った基調講演の様子)。

「ただ、日本のサッカークラブは競技面ではプロフェッショナルですが、ビジネスが絡んでくる話、特に前例がないものになると、かなり難しいところがある。周囲にアジアの風が吹き始め、皆、総論としては『面白そうだ』と感じているものの、実際には各論どうしていいか困っている人がかなりいるように見受けられました。

そこで、10を超えるクラブを実際に訪問させていただき、具体的な話をいくつか持ちかけてみたのですが、クラブと一緒になんらかの企画を進めていくことにはかなり苦労しました。現実的には、海外や新興国の現在や未来のイメージをできている人は日本には少ないですし、どちらか言えば苦手意識のほうが強い。そして、何事においても日本のほうが優れている、と思い込んでいる人たちもたくさんいました。

サッカー先進国の欧州以外の海外とコラボレーションしよう!と心の底から思ってるいる人はほぼ皆無でした。

そうしたなかで、2017年の5月くらいのことです。シンガポールの家の近所の、鉄道駅の近くのガード下の屋台で、日本人のサッカー仲間と一緒にタイガービールをのみながら愚痴をこぼしていたら、『じゃあ自分でやればいいんじゃない?』と言われまして。

それまでその発想はなくて。たしかに、どうせ大変なら、『周りが動かないから…』みたいなことでネガティブになるくらいだったら、自分がやってみて大変なほうがいいなと思うようになりました。

僕は学生時代のほとんどはテニス部に所属していたくらいで、プレーヤーとしてサッカーとの関わりはほとんどありませんでした。

だからこそより感じるのかもしれませんが、サッカーの中から見たサッカーではなく、自分を含め、周りでサッカーを楽しんでいる人たちのほうがたくさんいることを体感として知っています。そんな人たちをどれだけ巻き込むことができるか、そんな人たちにどれだけ貢献できるようなクラブになれるか。そのほうが、社会的な価値は大きいはずです。

“サッカーの中にいる人々”ではなく、“人々の中にあるサッカー”と、逆転したようなクラブを最初から作れば、何かに迷った時にも競技面だけではなくそちらを追求して行けるのではないか―。

国際的なスポーツであるサッカーをツールにし、社会的で普遍的な付加価値のあるものをゴールにする。

これが『鎌倉インテル』というクラブのアイデアの原点でした」

現在のJリーグクラブあるいはそこを目指しているクラブのほとんどは、競技面から生まれてきた。世界的に見てもそれが当たり前だ。

しかし、鎌倉インテルはそうではなかったのである。