アトレティコ・マドリーの守護神に君臨してきたスロベニア代表GKヤン・オブラク。
彼は弱冠16歳で国内クラブのオリンピヤ・リュブリャナでレギュラーを獲得したほどの逸材だった。
その後、すぐにベンフィカに買い取られると、ポルトガルのベイラ・マールに即ローンされたが、驚きの経験をしてたようだ。『France Football』でこんなと話していたそう。
ヤン・オブラク
「ポルトガルでは大変だった、特に最初のローン移籍は。
プレシーズンに右サイドバックでプレーしたことを覚えているよ(笑)
ローン移籍を繰り返していると、監督がGKなのかFWなのか知らないことさえあるんだ。
一番きつかったのはレイリアへローンされた時だね。
当時のポルトガルサッカーは本当に危機的状況にあった。
停電、冷たいシャワー…給与遅配のせいで、7人でリーグ戦を戦ったことさえあった。
でも、少なくとも自分はプレーできるようになった…右サイドバックではなくね(笑)」
当時17歳だったオブラクはベイラ・マールに貸し出された2010-11シーズンのプレシーズンになぜかSBで起用されたとか。
【関連】世界的GKなのに「背番号1」を着けたことがない7人の守護神
また、ウニオン・レイリアでは悲惨な状況も体験したそう。
【Qolyインタビュー】パリ五輪出場の東京ヴェルディMF山田楓喜、トッテナムのクルゼフスキを「自分の究極系」と語るワケ