サッカー戦争とは

同国のサッカーシーンで最も有名なトピックスは1969年7月14日から19日にかけて勃発した『サッカー戦争』だろう。

なぜこの名称になったのか。

背景にホンジュラスのエルサルバドル人移民問題、エルサルバドルの工業化に伴うホンジュラスとの貿易格差、国境線の問題などがあり、戦争が起きる1960年代後半にはホンジュラスがエルサルバドル移民を国外退去させるなどして両国間の対立が深まっていた。

そしてワールドカップ1970年メキシコ大会北中米予選1次ラウンドにて問題が発生した。

1969年6月8日にホンジュラスホームで開催されたエルサルバドル代表戦が開催され、ホンジュラス代表が1-0で勝利した。

この結果により熱狂的なエルサルバドル代表サポーターの18歳女性が拳銃自殺を図り、同国に衝撃が走った。

この女性の葬儀は当時の大統領やエルサルバドル代表選手らも参列するほど国を挙げて少女の死を悲しんだ。

そして6月15日にエルサルバドルホームでホンジュラスとの対戦となったが、ホンジュラス代表サポーターが暴行を受けて2人死亡し、自動車150台が放火されるなど国際的な問題となった。

試合はエルサルバドル代表が3-0で勝利を収めた。

6月27日にメキシコで行われた予選最終戦でエルサルバドル代表はホンジュラス代表を延長戦の末に3-2で下し、予選最終ラウンドへ進出した。

予選終了後にホンジュラス国内のエルサルバドル移民が襲撃を受けるなどして、両国は国交を断絶。

そして7月14日から19日の間に戦争へ発展し、最終的にアメリカ大陸の安全保障、紛争の平和的解決を目指す米州機構の調停が入る形で停戦に至った。