サッカーの内容は違えど、かつての常勝を取り戻しつつある横浜F・マリノス。
2003~2004年当時の連覇メンバーである那須大亮、栗原勇蔵、坂田大輔がプチ同窓会を行っていた。
酒を酌み交わしながらざっくばらんに当時を振り返った3人。「特に印象に残っている先輩」についてはこんな話もしていた。
「栗原:やっぱまず最初に出てくるのは、マツさんじゃない(松田直樹)。3人ともそうじゃない?そこは外せない。
(エピソードは)ありすぎて何を出すかっていうくらいの…色んなものがあるじゃん。那須さんはマツさんとよく喧嘩してた。
那須:めちゃくちゃしてた。
栗原:うるせーよ!お前がやれよ!とか。1番してた。でも、それがマツさんは嬉しいんだよね。
那須:マツさんが言ってくれたのよ、ある時に。お前、いまからタメ口使うなって(本当は敬語を使うな)。すいませんって言って来たら、絶対にブン殴るからなって。
栗原:タメ語を使えってこと?
那須:そうそう。敬語を使うな、だ(笑)。そこからはあれが普通のコミュニケーションになって。外から見てもおもしろいくらい喧嘩してたじゃん、「おめぇ、出てけよ!」とか、「てめぇが出てけよ!」みたいなさ。
栗原:でもあれだよね。マツさんは口は動かすけど、自分は動かなかったりとか…。結構ムカついたよね(笑)
那須:そこうまいんだよ(笑)あの人、動けるし、能力あるし。でも、人を動かして、自分はサボろうとする(笑)
栗原:それがね、サポーターとかファンの人は、やっぱ松田はすごいから、できてないのはうちらのせいって…。そこでしわ寄せくるんだよね、だから、鬱憤溜まるんだよね(笑)
那須:そうね(笑)そういううまさじゃないけど…」
マリノス育ちとして380試合以上に出場した松田直樹さん。松本山雅FCに移籍した2011年に34歳の若さで急逝した後、彼が背負っていた3番はマリノスで永久欠番となっている。
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当時の日本人としては最高峰の守備能力を誇ったほか、フィードセンスや攻撃センスも抜群で規格外の能力を持っていた。
機動力もある選手だったが、周りの味方を動かして、自分は休むうまさも持っていたとか。那須とは4歳違いだったが、それでも敬語で謝ったりする必要はないと伝えていたそう。