元日本代表の岡野雅行(52)が、城彰二(49)のYouTube『JOチャンネル』の生配信に出演。現役時代にヨーロッパのビッグクラブからオファーを受けていたことを明かした。

“野人”の愛称で知られる岡野は現在、J3・ガイナーレ鳥取の代表取締役GMを務めている。

岡野といえば、日本代表を1998年ワールドカップ初出場に導くゴールを決めている(通称“ジョホールバルの歓喜”)が、それによってオランダの名門アヤックスからオファーを受けたという。

「僕、足が速かったじゃないですか。アヤックスって今もそうだけど3トップで。とにかく100メートル11秒台じゃないと(選手を)獲らなかった。

僕があそこ(ジョホールバル)でゴールを入れたことで、アヤックスのGMが『アイツは何か持っている』『足も速いし、キャラも面白いから右サイドに来てくれ』と」

90年代のアヤックスは94-95シーズンにUEFAチャンピオンズリーグを制覇し、翌年には準優勝。ダーヴィッツ、セードルフ、クライファート、リトマネンらをそろえた若きタレント軍団はヨーロッパのサッカー界を席巻していた。

岡野がオファーを受けたのはその数年あとの時代のようだが、“お忍び”で練習参加して評価も受けていたという。

「日本だと俺みたいなプレーヤーは『あいつ馬鹿じゃないの。走るだけだろ』って感じじゃん?俺、向こうでずっと“エクセレント”(すばらしい)と言われてた。

なんでかって一発で行けるやつが一番頭がいいって。『バックパスは最悪』『横パスは前にいくためにやってるんだ』『一発で行けるなら行けばいい』という考え方。アヤックスは特にそう。そういうので俺は『頭いい、頭いい』って初めて言われた」

岡野は過去のインタビューでも、「(当時世界一速いといわれた)ババンギダにスピードで勝った」と話している。

ただ当時はエージェント(代理人)がいない時代。当時所属していた浦和レッズからは猛反対にあい、移籍話も一度は立ち消えた。

それでもアヤックスは諦めず、「絶対に来てくれ」と声をかけてきたそう。いい内容の契約を提示され、岡野は再び練習参加したのだという。

しかし運が悪く、この年(1999年)からJリーグには降格制度ができた。浦和は低迷して降格の危機にあったため、ここでも「帰ってこい」「絶対に出さない」と言われてしまったそうだ。

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結局浦和はこの年、J2へ降格することに。岡野は「あれはやりたかったね」と移籍について残念がっていた。

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