「ナベツネ」の愛称で知られる渡邉恒雄氏が12月19日、肺炎のため亡くなった。享年98歳。

渡邉氏は1950年に入社した読売新聞社で政治部の記者を務め、1991年に同社の代表取締役社長に就任。NPB読売ジャイアンツのオーナーとして名を馳せ、スポーツ界にも大きな影響を与えた。

サッカーにおいては、1993年のJリーグ創設当時、初代チェアマンである川淵三郎氏と衝突したことが知られている。

渡邉氏の訃報を受けて、川淵氏は相談役を務める日本サッカー協会(JFA)を通じて以下のような追悼メッセージを発信した。

「突然の訃報に言葉もありません。

ちょうど7年前、自伝を出す際に渡邉さんと対談する機会に恵まれました。高円宮殿下のご葬儀の際にお会いして以来で、久しぶりにお目にかかれて本当にうれしかった。既に90歳を越えておられるにもかかわらず矍鑠とされ、話される内容も鋭く、得難い時間を過ごさせていただきました。頭脳では到底かなわないものの、そのお姿を見て渡邉さんのように年を重ねていきたいと思いました。その渡邉さんが亡くなり、目標を失った思いです。

Jリーグ開幕当時、クラブの呼称問題などで侃々諤々の論戦を繰り広げたことが懐かしく思い出されます。渡邉さんとの論争が世間の耳目を集め、多くの人々にJリーグの理念を知らしめることになりました。恐れ多くも不倶戴天の敵だと思っていた相手が、実は最も大切な存在だったのです。まさに渡邉さんはJリーグの恩人。心から感謝しています。

在りし日のお姿を偲び、ここに謹んで哀悼の意を表します」

渡邉氏との論争が注目を浴びたことで、より多くの人にJリーグの理念が伝えることができたと、今では心から感謝しているようだ。

チームメイトなのにガチ喧嘩になった7つの事件簿

ちなみに、Jリーグの『百年構想』という言葉は1996シーズン開幕に向けたキャンペーンのキャッチコピーに由来するもので創設当時はまだなかった。

【厳選Qoly】6度の選手権優勝!高校サッカー屈指の名門、帝京高校が輩出した「最強の5人」