元日本代表MF中村俊輔氏がレッジーナ時代を振り返った。12日、イタリア『ガゼッタ・デロ・スポルト』が伝えた。
2002年にJ1横浜F・マリノスからイタリアのレッジーナへ加入し、2005年までプレーした中村氏。インタビューでは元同僚のDFジョヴァンニ・モラービトを「レッジョの親友」と表現し、同胞との思いを語った。
「僕が1年目だったころ、僕たちはいつも同じ部屋にいた。彼はレッジョで生まれ育ち、僕を世話してくれて、一緒に街を観光した。また、彼の両親はピザ屋を経営していて、僕たちはそこで食事をしていた。
しかし、彼と同じ部屋で寝るのは悪夢だった..。彼は浴室から下着姿で出てきて、そのまま寝てしまうんだ。日本ではパジャマを着るんだけどね…。僕は彼の変な顔に気づき、身振りで言いたいことを説明しようとした。
しかし彼にとっては朝食にコーヒーを飲むのと同じくらい普通のことだった。だけど僕にとってはパジャマを着ることはしっかり食事をするのと同じくらい大事なこと。僕たちはたくさん笑ったよ。彼は本当に素晴らしい友人だった」
レッジーナでは公式戦87試合で12得点10アシストを記録した中村氏。左足の名手は「物事がうまくいっているときは、英雄だった」とイタリア生活を振り返った。
「通りに出ると、襲われ、サインを求められ、コーヒーを勧められ、あらゆるものが提供された。スーパーで買い物をすることさえ困難だった。僕はそれに衝撃を受けた。
日本ではサッカーは最も人気のあるスポーツではないんだ。イタリアではサッカーは生死に関わる問題だ。これは僕にはおかしく思えたが、私はレッジョとレッジーナが大好きだった。素晴らしい時間を過ごした。
物事がうまくいっていないときでも、ファンが練習場に来て立ち止まって話しかけてくれた。彼らは僕たちに何が悪いのか、なぜ僕たちが負けたのかと尋ねた。そのときは少し怖かった。日本ではこのようなことは起きない」
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また、46歳となった中村氏は最も印象深い対戦相手はロベルト・バッジョだったと回答。「彼が所属するブレシアを相手に、セリエAでフリーキックからの初ゴールを決めた。彼のようなチャンピオンに自分の実力を見せたかった。試合の最後には、敬意を表してユニフォームを要求しなかった」とセリエAでの秘話を明かした。