日本代表で背番号10を背負ってきた堂安律。

27歳になったレフティが、日本テレビ系列の『アナザースカイ』に出演した。堂安が訪れたのは、2017~2019年までプレーしたオランダのフローニンゲン。

ガンバ大阪で高校2年生にしてプロデビューした堂安は、19歳の若さでオランダに移籍した。

番組には、堂安の移籍にかかわったフローニンゲンの元CEOであるハンス・ナイラント氏も出演。

堂安は移籍交渉でハンス元CEOが怒っていたと裏話を明かしていた。

「その当時の僕の移籍金が200万ユーロなので、いまの日本円でいったら、3億円くらいですよね。

ガンバとの契約は残り2年残っていますと。その契約を解除するためには3億円を払ってください、そうしたら行かせてあげますみたいな.。

18歳のガキンチョに3億円を払うって、なかなか決断できないことのなので。

(当時の堂安の評価額は100万ユーロだったが)ハンスが来て、ガンバと話して、交渉がうまくいかなくて、1回決裂したんですよ。僕、ふて寝したんですよ、ふざけんなって。

ふて寝して起きたら、代理人からめちゃくちゃ電話きてたんですよ。折り返したら、(交渉のために日本に来たフローニンゲンの)社長がホテルに帰って、『日本のビールをくれ、もってこい』と言って、一気飲みした後にバン!ってビールを置いた後に、手ぶらで帰るわけにはいかん!払うから、律を連れてこいって言ったらしいので。そういう決断があって、僕はここにいるので」

ハンス元CEOは、評価額の倍にあたる200万ユーロを支払う決断を下したとのこと。

また、堂安とハンス元CEOは、CSKAモスクワへの移籍が破談になった話も明かしていた。CSKAモスクワはかつて本田圭佑もプレーしたロシアの強豪クラブ。

堂安本人は、フローニンゲン加入2年目にCSKAからオファーを受けるとロシア行きを直訴したものの、フローニンゲン側が1200万ユーロ(20.5億円)の高額な移籍金を要求したために交渉は決裂した。

堂安は、当時20歳の自分にはクレイジーな金額だったと暴露すると、ハンス元CEOは爆笑。そのうえで、堂安はこう語っていた。

「その当時、僕は怒ってました、感情的で…ふざけんな!みたいな。

お前ら(フローニンゲン)が行かせたくないだけやろって、勝手に思い込んじゃって。自分のためじゃないと思い込んでしまって。

クラブに対する『なんでやねん』みたいな気持ちが出てきちゃったのが、2年目の1か月くらいですかね。

(実際には)僕のために決断したところもあったと思うし、彼ら(フローニンゲン)にしたら、ロシアに行くよりもオランダから5大リーグに行く方がいいと。

フローニンゲンが愛情をくれてたにもかかわらず、僕はそれを分からず、ただただ拒否したっていう風に受け取ってしまって」

当時、日本代表に入り始めていた堂安は、ビッグクラブでプレーする長友佑都らを見て、自分も早くそうならなければいけないという焦りが強くなってしまったそう。

当時はUEFAチャンピオンズリーグにも出場していたCSKAへの移籍が決裂したことで一時パフォーマンスが低下したものの、理解ある監督や英語の家庭教師など周囲の支えで立ち直ったとのこと。

奇妙な理由で破談になった移籍トップ12

その堂安は、現在、ドイツ1部のフライブルクでプレーしているが、この夏の移籍も噂されている。そのことについては、収録時点では、移籍か残留かは決まっていないと語っていた。

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