かつてJリーグで選手や監督として戦った元ドイツ代表FWピエール・リトバルスキー氏が、日本を初めて訪れた際に「荷物で失敗した」ことを明かした。
リトバルスキー氏は1.FCケルンで長くプレーしたあと、1993年にJリーグのジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)に加入。
さらにベガルタ仙台の前身であるブランメル仙台でプレーした後、指導者として横浜FCやアビスパ福岡で監督を務めるなど、日本と非常に縁が深い人物として知られる。
彼は今回『Wie war das damals?』というポッドキャストに出演し、日本で経験したエピソードなど様々なことについて語った。そのなかで、日本への移籍を決断した理由について、以下のように明かしていた。
「当時、ケルンはいいプレーができていなくて、スター選手もいなくなった。僕とボド・イルクナーだけが残っていた。自分もそれまでのようなプレーができなくなっていたし、ある時点で線引きをするか、他のことをしなければならないと思っていた。
その時奥寺(当時はジェフのGM)がやってきた。彼はかつてケルンでのチームメイトで、1978年にともにチャンピオンになったことがある。
日本に行く気はあるかと言われたときには、全く知らない国だったので『頭がおかしいんじゃないか』と答えたんだ。文化も、食べ物もわからない。いつもケルン大聖堂を見ていなければ自分が変になるだろうと思っていた。
ただ、彼は『きっと気に入るはずだよ。もしかしたらヘディングでゴールを決めることもできるかもしれないよ』と言われたよ。
降格の危機にあったケルンを残留させたあと、クラブに移籍金をもたらして、全く何も知らない国だった日本へと行った。荷物を二箱持っていったんだ。
一つには衣類が詰まっていた。もう一つには食料を詰め込んでいったよ。バターとか、チョコレートとか、チーズとかね。
そして東京に飛行機で降り立ったとき、気温は40°Cくらいあるんじゃないかと思うほど暑かった。片方の箱がどうなったのか、おそらく君たちの想像通りだよ(笑)」
なお、他にもリトバルスキー氏は「ジェフの試合を初めて観戦したとき、トイレで靴を脱いでスリッパに履き替えた。そのあとスリッパのままでずっと過ごしていた」という失敗があったと明かしていた。
トイレに専用の履物が用意されているというのは日本独特の文化であり、リトバルスキー氏は当初は靴に履き直すことを忘れてしまうことがあったそうだ。