エリャキン・マンガラ
「(1996年にパリを去ったのはその治療のためだった)
彼が必要とする専門のクリニックがベルギーにあったんだ。兄はサッカー選手になれたと思う。しかし、今の彼は歩くことも、話すこともできない。
彼と母のマドレーヌはまだベルギーにいる。時には自宅で、時にはクリニックで、毎年ともにクリスマスを過ごすんだ。
兄は、僕の人生の大きな部分を占めている。僕はいつもサッカー選手になりたかった――それは、兄のためでもあったんだ。彼はまだ僕の精神的な支えであり続けている。
強さをくれる。精神面の強さを。そして、ピッチに出る時も常に彼のためにプレーしていると感じているんだ。僕の母もそう感じている。
母は僕が成し遂げたものを誇りに思っているかもしれないが――しかし、彼女の成し遂げたものを見てくれと言いたい。二人の子供――そのうち一人が障害を持っている二人を、母一人で育てたんだ。
(5歳でベルギーに渡り、ACリュスタンからキャリアを始めた)
とても痩せていたね。ガリガリだった。21歳までそんな感じだったよ。でも、スピードはあったし、空中戦には強かった。ストライカーとしてキャリアを始めたんだけどね。
他の選手ほど技術的に高くはなかった。しかし、空中にボールを送ってくれれば、身長があったからゴールをたくさん奪うことが出来たよ。
(スタンダール・リエージュ移籍後にDFに転向した)
明らかだったのは、僕は攻撃でプレーできるだけの十分な技術を持っていないということだったね。
僕はポジションを変えて、強さと身長を生かせるようにしなければならないということは分かっていたよ。16歳からトップ下になった。
そしてマルアヌ・フェライニがU-17のチームを去って、その穴を僕が埋める形になった。センターバックとしてプレーし始めたのは18歳の時だったんだ」
マンガラが語る――麻痺を抱えた兄のこと、シティのこと
Text by 石井彰(編集部)
カズに憧れて全身赤のスーツを買ったことで校内一の人気者になったが、中身が伴わず一発屋で終わったというエピソードを持つ島根県出身のエディター。その影響か赤いチームを好み、ヴァランシエンヌ、レイションエス、ノッティンガム・フォレストなどを応援している。
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