それでも進み続ける代表チーム
リベリアに敗北したことは異例だった。イラクのチームは通常彼らのファンを失望させはしなかったからだ。2004年にはオリンピックで4位になり、前評判を覆して2007年アジアカップを制覇した。
2013年にはU-20ワールドカップでベスト4になり、アジアU-22選手権でも優勝を果たしている。
「基盤が不足しているにもかかわらず、イラクのサッカーのベースは傷つけられていない。才能のプールは繁栄し続けている」
イラクのサッカーライターであるハッサーニン・ムバラク氏はそう話した。
シャービヤー・フットボール(公共サッカーリーグ)は非常に人気があり、保安面でも経済面でも腐敗し基盤が壊れていく中で、過去10年にわたってスポーツの生命線となってきた。
しかし、アル・シャーブ・スタジアムは、一時期占領軍の基地になっていた。
「この時期は選手達にとって非常に厳しかった。特にリーグの延期があったことで、我々のクラブは給与の支払いに失敗した。ただ、それは結局経済的な問題だ。
セキュリティの点でも、我々のチームはとても苦戦した。大きな影響があった二つの事件を覚えている。
練習の間に銃の乱射があり、チームメイトのマーナル・ムザファルが命を失った。そしてもう一つ、練習の際に3発の迫撃砲が撃ち込まれ、多くの選手が傷ついたことだ。その破片はまだ僕の足に残っている」
アル・ザウラーでプレーしているMFガーイス・アブドゥル・ガーニーはそう話す。そして、多くのイラク人選手が似たような話を持っている。
代表監督を務めていたハーキム・シャーキル氏は「残忍な治安状況、爆発や発砲による恐ろしい音」が選手達に影響を与えており、心理的健康を失っていると話した。