中田英寿
1998年ワールドカップ後、イタリア(ペルージャ)へ渡り初年度開幕戦のユヴェントス戦でいきなり2得点をあげると、シーズンを通して活躍し二桁得点をあげてフィーバーを巻き起こした。
当時、日本人が海外に出ていくことがほとんどなかった時代に、ローマでのスクデット獲得、パルマ、フィオレンティーナ、ボローニャでプレーした。名波、中村と他の日本人が海外へ移籍するための道を作ったとも言える。
パススピードと視野に優れ、むしろ彼の考えに合わせられるフォワードがいないと言われた「キラーパス」、「司令塔」といった言葉は頻繁に取り上げられ一時代を築くと、2002年ワールドカップでもベスト16入りの原動力となった。
だが、晩年は股関節の怪我に苦しみプレミアリーグ(ボルトン)でも然したる成績を残せず。2006年ワールドカップでグループリーグ敗退後、大の字に寝転んだ中田は現役引退を発表いた。
29歳での引退というだけでなく、セカンドキャリアがサッカーに関わらず「旅人」になるということで世間に衝撃を与えた。東ハトの執行役員CBOなどビジネスマンとしての顔を持つほか、世界中の様々な場所で活動を行っており一文化人としても活躍をしている。
今回は7人の早すぎた引退を決意したフットボーラーを紹介した。
【Qolyインタビュー】パリ五輪出場の東京ヴェルディMF山田楓喜、トッテナムのクルゼフスキを「自分の究極系」と語るワケ