ダヴィド・ジノラ
「バルセロナは、結局その夏にフリスト・ストイチコフとゲオルゲ・ハジの移籍先を見つけられなかった。
ヨハン・クライフが僕を呼んだのは7月の14日だった。奇妙なことに、フランスの独立記念日だったね。
彼は言った。『ああ、ダヴィド。私は二人の選手を整理できなかった。契約出来ないよ』と。
そして、私はケヴィン・キーガンとテリー・マクダーモットから電話を受け、その後ニューカッスル・ユナイテッドと契約を結んだんだ」
「(1996年にもアプローチがあった?)
一年過ぎた後、僕はボビー・ロブソン監督から電話を受けたんだ。彼はバルセロナを担当することになっていた。『ダヴィド、私が君に電話したのは、ニューカッスルにオファーを送るつもりだからだ』と言われたよ。
その後キーガンから電話を受けて、彼は『ダヴィド、君はここを離れられないよ』と言われた。
『私は昨年アンディ・コールを手放した。そして既にファンから集中砲火を受けている。もし君まで出て行ったら、大きな問題になるよ』と。
従って、僕にはバルセロナと契約する2度のチャンスがあったのだが、それは起こることはなかったよ。
ラテン人として――ラテンの男として、私はイングランドでのプレーを楽しんだ。しかし、バルセロナでプレーすることも出来た。私は地中海の生まれであり、北海生まれではないからね」
あの元フランス代表、クライフから「君を獲る」と言われていた!
Text by 石井彰(編集部)
カズに憧れて全身赤のスーツを買ったことで校内一の人気者になったが、中身が伴わず一発屋で終わったというエピソードを持つ島根県出身のエディター。その影響か赤いチームを好み、ヴァランシエンヌ、レイションエス、ノッティンガム・フォレストなどを応援している。
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