マルコス・テバル
(レアル・マドリーは強いユース文化を持っていたが、最近では変わってしまった。その理由は?)
「僕が思うに、物事はビセンテ・デル・ボスケ監督がチームを去った時に大きな変化があった。それは劇的なインパクトだった。
彼は特徴的な監督であり、アカデミーから来たあらゆる選手のことを理解していた。その御蔭で、ユースを卒業するのに十分だと判断されれば、10代であってもラインナップに加えられた。
デル・ボスケがレアル・マドリーを離れて以来、全てが変わった。フロレンティーノ・ペレス会長は多くの外国人選手と契約し始め、アカデミーの才能を信頼しなかった。
しかしながら、リーガの別のチーム、あるいは国外のクラブにとっては良いことだね。彼らはラ・ファブリカ(レアル・マドリーのアカデミーの愛称)のタレントに気付いている。
選手としての視点で言えば、レアル・マドリーでのチャンスを得るのが最高であるとはいえ、それ以外のオプションも探さなければならない。出場機会を得ることがもっとも重要だからね。
もし他のクラブでいいパフォーマンスが見せられれば、帰ってくることが出来るかもしれない。
レアル・マドリー・カスティージャとトップチームの間には大きな壁がある。ロス・メレンゲスには世界最高の選手がいるのだからね」
(君はレアル・マドリーからジローナに行った。そこはカタルーニャのチームだ。地域のメディアのように対立はあった?)
「これらの全ては政治的に行われているものだと思う。なぜなら、サッカー選手としてスペインにいる時、そんな問題は何もなかったからだ。
明らかに、両地域のメディアはお互いにいろいろやっているが、それは内部的な対立やライバル関係だ。
個人的には、そんなことは感じたことがない。ユースのころからセスク・ファブレガスともプレーしたが、何にも問題はなかった。ただ試合を楽しもうとしている二人の選手だったよ」
(ユース時代、どんな選手を信奉した?)
「僕はペップ・グアルディオラのようになりたかったね。彼はバルセロナの最高のセンターハーフだった。レアル・マドリーからなら、レドンドがとても好きだった。彼も最高のボランチだね。
今なら、セルヒオ・ブスケツがあのポジションで最高の選手ではないかと思う」
元レアルの“天才”が明かす、クラブの劇的な変化
Text by 石井彰(編集部)
カズに憧れて全身赤のスーツを買ったことで校内一の人気者になったが、中身が伴わず一発屋で終わったというエピソードを持つ島根県出身のエディター。その影響か赤いチームを好み、ヴァランシエンヌ、レイションエス、ノッティンガム・フォレストなどを応援している。
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