ヨハン・ネースケンス
アヤックスとバルセロナ、そしてオランダ代表でクライフとともにプレーした彼もまた野球経験者。
『Baseball in Europe』という書籍が英紙『Guardian』からの情報としてこう伝えている。
「ネースケンスは野球のオランダユース代表の一員だった。1960年代にローマで行われた欧州ユース野球大会では『最高の打者』に選ばれた」
野球選手のほうがより成功したかもしれないとも言われるほどの才能があったようだ。
オランダは2013年のWBCにも出場しており、ウラディミール・バレンティン(東京ヤクルトスワローズ)やアンドリュー・ジョーンズ(元アトランタ・ブレーブス、楽天)もオランダ領アンティルのキュラソー島出身だ。彼らの他にもMLBでプレーしたオランダ人はおり、そのうちのひとりであるシアトル・マリナーズでプレーしたグレッグ・ハルマンはこう述べている。
「オランダ出身と聞くと、人々はサッカーや木靴を連想する。でも自分はオランダ出身だが、ずっと野球をやってきた」
なお、彼は24歳だった2011年に母国オランダで刺殺されている。
トニー・メオラ
1990年代のアメリカ代表のゴールマウスに君臨した守護神。
彼の父親はイタリアからの移民で、祖国ではサッカー選手としてプレーしていた。その父からサッカーを教わったというメオラだが、高校ではバスケと野球でも大活躍。
185cmと決して大柄ではなかったが、MLBニューヨーク・ヤンキースからドラフト指名されるほどのズバ抜けた運動能力を持っていた。
ただ、彼は大学進学を希望したために入団はならず。それでもバージニア大学では野球を4年間プレー。3年間はセンター、1年間はキャッチャーとして活躍し、最終学年では打率.455、HR8本、打点36をマーク。強肩でもあったらしく、当時のコーチは「州でも最高の野手だった」と絶賛している。
MLBのイタリア移民といえば、野茂英雄がプレーしたドジャースの指揮官ラソーダ氏やピアッツァが有名であるが、もしかしたらメオラも彼らのようになっていたかも?
GPAで3.4を記録するなど学業のほうでも優秀だったほか、NFLニューヨーク・ジェッツのキッカーになろうとしたこともあったそう。本当にスポーツ万能だったようだ。