「まず私が最初の日に日本サッカー協会のJFAハウスに伺った時に、私はこう聞いたんです。

『私のオフィスはどこにあるんですか?』、すると『あなたのオフィスなんてありませんよ』って。

すぐに私はお願いしたんです。『それだったら是非私のためにオフィスを作っていただけませんか?私のアシスタントのためにもオフィスをなんとか作ってください』とお願いしました。

どうやらこれが、日本のサッカーの歴史で初めてだったことのようです。つまり代表監督がコーチ、自分たちに対してオフィスを作ってくれとお願いするのが。

そうして私たちは毎日オフィスへと出勤してきたわけです。代表チームのセクレションをするだけでなくて、メディカルスタッフもJFAにやって来て毎日出勤してくる。でもそうしたものは、皆さんは馴染みがなかったみたいです。

その後は皆でどういう仕事の割り振りをして、どういう仕事をやっていくかという組織立てをやっていきました。つまり監督として、コーチ、メディカルスタッフとして何をやっていくのか。

毎日毎日ミーティングを持ったり、テクニカルスタッフとともに実際に選手の試合の視察にも行きました。そして選手一人についての報告書、レポートを作っていく。そしてメディカルスタッフはどの選手がどう故障しているのかという細かいデータをレポートとして上げていくわけです。

それからアドミニストレーションのスタッフとともにコミュニケーションやいろいろな作業をやってまいりました。

ですからオフィスにいて仕事をする時もあれば、試合の現場に行って視察をすることもある。それは国内組の試合も、そして海外組の試合も同じです」