1 - GK 松永 成立(横浜マリノス、当時30歳)
→横浜F・マリノスのGKコーチ
1990年代前半の日本を代表するGKで、Jリーグ開幕時に高い人気を誇った松永氏。ただこの大会では準決勝の中国戦で退場したため決勝に出場できず、翌年は守護神としてあの「ドーハの悲劇」を味わうこととなった。
2 - DF 大嶽 直人(横浜フリューゲルス、当時24歳)
→伊賀フットボールクラブくノ一(女子)の監督
3 - DF 勝矢 寿延(横浜マリノス、当時31歳)
→セレッソ大阪のスクールコーチ
4 - DF 堀池 巧(清水エスパルス、当時27歳)
→順天堂大学サッカー部の監督
5 - DF 柱谷 哲二(ヴェルディ川崎、当時28歳)
→ギラヴァンツ北九州の監督