ラモス 瑠偉(1992)

日本代表がアジアで揺るぎない地位を築くきっかけとなった1992年のアジアカップ。そんな歴史の転換期となった大会で10番を背負ったのがラモス瑠偉だ。

1970年代にブラジルから来日し読売クラブで黄金期を築いた司令塔は、1989年に帰化をして代表入り。

1992年に就任したオランダ人ハンス・オフト監督とはサッカースタイルを巡って激しく対立したが大会前に和解し、初優勝に貢献した。