ホセ・アントニオ・レジェス

セビージャでブレイクしたホセ・アントニオ・レジェスは、2004年にアーセナルと契約してプレミアリーグに挑戦した。

両親と兄弟も連れての移籍であったが、彼はロンドンの天気や環境、食事などに全く馴染むことができず、英語も話せず。しかも地方の訛りが強かったためにスペイン人の同僚ともあまりコミュニケーションが取れなかったという。

2006年には公にレアル・マドリーへの移籍を希望することをメディアに明かし、その希望が通って貸し出され、母国でキャリアを復活させた。その後はアトレティコ・マドリーや古巣セビージャなどでプレーしてきたが、今年6月1日に不慮の交通事故によって死去している。

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