(2015年にヒムナスティック・デ・タラゴナと契約したが、それまでは?)
「僕の人生は映画や本にするにはいいだろう。その経験すべてが精神をとても強くしてくれた。君がピッチ上で3ポイントを奪おうとするなら、僕を殺さなければならないよ。
16歳で結婚し、17歳で父親になった。ジプシーはとても早く結婚してきたものだ。妻は14歳だった。
これまで多くの苦しみを経験してきた。僕は26歳だが、35歳のように見えるよ。カディスで4年契約を結ぶまではね。妻は僕から離れなかったし、今やジプシーはいい人生を送っている」
「2015年にヒムナスティックのスポールディレクターをしていたエミリオ・ビケイラから電話があって、タラゴナに行かなければいけなくなった。
その際には父親のバンを使ったが、ジャンク屋の仕事で使うものだったから、5〜10ユーロ分のガソリンしか入れたことがなかった。
長い旅をしなければならないから満タンにしてくれと言って、ガソリンを入れた。するとタンクが壊れてしまって、燃料計が動かなくなった。
バレンシアからタラゴナに行くまで5時間以上かかったよ。到着したとき、ヒムナスティックの会長とビケイラが僕の叔父を見た。身長2メートルで、髪の毛が下半身まで伸びて、ふくらはぎにマドリッドのクレストのタトゥーが入っている叔父をね。
会長は『一体誰なんだ?』と話し、ビケイラは『彼はヒムナスティックの新しい選手だ』と答えた。
戻る際の交通費については代理人に請求する必要があった。これが僕の最初のプロ契約で、それまではお金を稼いだことがなかった」
(2016年にバルセロナのBチームに貸し出されたね)
「ヒムナスティックではあまりプレーできていなかった。なのにバルセロナから誘いがあったときには、頭がおかしくなったね。あのようなチームでプレーすることを想像できなかったから、喜んで受け入れた。
そのときにはセグンダBだった。僕がそこに行ったとき、みんなが音楽をかけて踊っていた。『踊っていて何になるんだ』と言って、僕はラジカセをぶっ壊した。みんなが僕の方を見ていた。自分は22歳だったが、もう35歳のようだったよ。
お前ら、俺達はやれるんだ。走らないやつにはブチ切れるぞと。それから、7試合無失点勝利をし、グアルディオラやルイス・エンリケの記録を破り、降格圏を抜け出し、プレーオフ進出まであと一歩まで行った。
その翌年には2年延長のオファーを受け、バルサBとともに2部へと上がったよ」
(公約は?)
「試合でゴールを決めたら、携帯電話を買うつもりだ。持っていないから、SNSもやっていない。『こいつは時代に適応できていない』と言われると思うよ。
カディスの会長は、携帯電話を持ったことがないと伝えると『買ってやる』と言っていたよ。同僚はみんな僕のことをクレイジーだと言うんだ」
スペイン語ではあるが、インタビューの音声もCadena COPEでは公開されている。あまりにも衝撃的な内容で、ファリは一気にファンを増やしたようだ。