――アルゼンチンの1部リーグでプレーした日本人選手は、高原直泰に次いで2人目でした。現地では日本人選手はどのように見られていましたか?当時のエピソードなども。

僕の頃は、やはりまだまだ日本人は認められていませんでした。「東洋人は下手くそ」というレッテルは簡単に取れるものではなかったです。初めの頃は、フリーでもなかなかパスが出てこない、といったことが多々ありました。ボール回し(鳥かご)なんかは慣れるまで狙われ続けて、股抜きされてばかりでした(笑)。

ウラカンでトップチームの試合に出る頃には「日本人がんばれよ!」と応援してくれるファンもいましたし、ゴールを決めると新聞で取り上げてくれたりと、少しづつ印象は良くなっていたとは思いますが、やはりまだ下手くそ=サッカーを知らないという印象だったと思います。

――アルゼンチンと言えば昨年、ディエゴ・マラドーナが亡くなり、世界が悲しみにくれました。アルゼンチンで感じた「マラドーナの偉大さ」「マラドーナ愛」みたいなものがあれば教えてください。

アルゼンチン人の活躍している選手や、エージェントに話を聞くと「マラドーナは僕たちの全てで、この国が世界一だと感じさせてくれた、喜びを与えてくれた存在」だと教えてくれました。

アルゼンチン人の国を想う気持ち、そして水色と白の代表ユニフォームに懸ける思いは、おそらく日本人には理解できないレベルにあると思います。

その自分たちの全てであるアルゼンチン代表を、フォークランド戦争で負けた因縁のイングランド相手に「神の手」でやり返し、「5人抜き」で圧倒して世界一に導いたというストーリーがマラドーナをさらに神格化させました。

「マラドーナは貧乏な地区生まれだから、いつも誰にでも優しく、その行動が貧しい国民を一つにしたんだ」とも言っていました。国民全員から愛されている存在だと思います。

――マラドーナと言えば神がかり的なテクニックを持っていましたが、味方のゴールをアシストするパスもまた見事なものばかりでした。加藤選手はアルゼンチンでプレーして以降日本を含むアジア各地でプレーしていますが、FWとして“出し手”の選手とはどのようなコミュニケーションを取っていますか?

アルゼンチン以降、実はあまりFWとしてはプレーしていないのですが、受け手になる場合は、とにかく練習からイメージの共有を大切にしています。

俺はここに欲しかった、どこに出したかった?と何度も話します。それと、ピッチ外でのコミュニケーションも。仲の良くない選手にはあまり良いパスが出ないものです。