念願のプロ入り
プロ入りのきっかけは親友の存在だった。自身のプレー動画を作成し、Jリーグクラブへ送り始めた鯰田。複数チームに送るも、練習参加のオファーは届かず。刻々と時間が過ぎる中で、カマタマーレ讃岐から練習参加の打診が届いた。
ユース時代共にプレーした竹馬の友である中村駿太を経由して自身のプレー動画をクラブへ送り、チーム強化部が鯰田に興味を抱いた。「練習参加の話を頂いたときは、このチャンスを絶対に逃さないという決意しかなかった」と卓越したパスセンスと正確なキック精度で違いを見せた。
当時監督のゼムノビッチ氏に認められ、ついに待望の吉報が届く。苦難を乗り越えて、憧れの舞台への切符をつかんだ。
Jリーグデビューは想像以上に早かった。特別指定選手に指定された鯰田は、クラブの要望により香川県へと渡った。
仙台大サッカー部の主力選手だったが、特別指定選手として横浜FCのJ1昇格に貢献したMF松尾佑介(現・J1浦和レッドダイヤモンズ)の前例もあって仙台大も快く司令塔を送り出した。
「プレー強度も守備のプレッシャーも大学サッカーと違った」とプロとのレベル差を痛感するも、徐々に順応。プレースキッカーを任され、Jリーグを臆せず戦い抜いた。
だがリーグ戦10試合出場も、ゴール、アシスト数はゼロと不発。チームは最下位に沈んだ。
昨季を振り返った鯰田は「(昨季の個人成績は)危機感しかなった。サポーターのみなさまの期待に応えられるサッカーをする責任感を感じた。まずはプレー強度を高くしないと。そしてJリーグの舞台で戦うなら武器のキックは誰にも負けられないし、自分の武器は一番でないといけない」と新シーズンに向けて気持ちを引き締めていた。