それから約20数年。スポーツグッズの販売形態は大きく変化し、今やインターネット経由での通信販売が主となった。ワールドスポーツプラザ仙台店もとうの昔に閉店。当時の店舗が何処にあったのかすらも覚えていない。
私もいつの間にかアラサーになった。高校時代に鬱病を発症し、現在も通院しながら治療にあたっている。残念ながら子供の頃に思い描いていた「世界を股にかけて活躍する」職業に就くことが出来なかった。結婚もしていない。親孝行も満足に出来ていない。
もしタイムスリップしたならば、当時の、あの混雑した店で、ガラスケースの前で目をキラキラさせていた私に何と声を掛ければいいだろうか。
もちろん“彼”のその後の人生は嬉しいこともあったが、どちらかというと振り返りたくないことの方が多い。失ったもののほうが多い。
服も何年も着ているものだし、靴もボロボロ。髪もバサバサで、スーツを着てバリバリ働いているわけでもない。おそらく当時の私が今の姿を見たらガッカリするだろう。
「ホントにごめんよ…」
謝っても謝りきれないが、ひとつだけ、その少年に自信を持って言えることがある。
「でも、そのカードは手に入れたぞ」
1999-2000 PANINI CALCIO Series 2 Carta Maglia Jersey Roberto Baggio
後で知ったことだが、これは200枚限定のスーパーレアカードだった。20年以上前の、自分の記憶の中にしか残っていないカードを探すのはかなりの時間を要した。
ただ、ようやく見つかった。そして現在のカード市場はジャージーカードよりもサインカードのほうが需要があり、またバッジョのカードもその後多く市場に出たため、当時の値段よりもかなり安く手に入れることが出来た。
…と書いたが、本当は“安く手に入れることが出来た”という言葉は使いたくなかった。カードの価値を決めるのは自分自身だから。自分にとってはこのカードは価値のつけられないものなのだ。
確かに今の私は人生を謳歌していない。家に帰ると一人だし、仕事も激務。落ち込んでいる時のほうが多い。
でもその度にこのカードを見て思い出す。あの当時の店の活気、ワクワク感、そしてその真ん中で目を輝かせながらケースの中のバッジョを見る私。このカードはあの時の何も染まっていない子供心を思い起こさせてくれる、大切な宝物なのだ。
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ロベルト・バッジョがどういうプレーヤーだったのか、詳しくは分からない。サッカー以外の様々な噂もチラホラ耳に入っているが、そんなことはどうでもいい。彼は私にとって人生の灯火のような存在であり、永遠の憧れだ。
Molte grazie Roberto Baggio.
※トップ画像のグッズはすべてyosuke氏が当時「ワールドスポーツプラザ仙台店」で購入したもの