近くにエスペランサSCというクラブがあり、そこは元アルゼンチン代表の選手が指導していて、サッカーの教え方が南米出身ということもあってすごく“ずる賢かったり”しました。本当にF・マリノスなどのJクラブでは習えないようなことも実際にスクールで教わっていました。
外国人監督は滅多に経験できることでもないですし、すごく欲しがってくれたというか愛情を持って接してくれたので、エスペランサSCへ行くことを決めました。
中3になって進路のタイミングとなり、(周りが)「高校サッカーへ行きたい」と言うなかで僕はコーチに「ユースに行きたい」と言って、川崎フロンターレの練習へ参加しました。たぶん連絡してもらって「じゃあこの日に来てください」ということで2日間行きました。
ただ、当時の安部一雄監督がその日機嫌が悪くて(笑)、練習を中断というか結構激しくやって走ったりもするような日だったんです。そういうタイミングだったので、その当時の久野智昭コーチから「あまり判断ができなかった」「プレーもあまり見られなかった」と言われて。
やっぱりそこまで獲得したいわけでもないじゃないですか。なので、「セレクションがあるのでこの日に来てください」と言われて、ユースへ入りたかったのでセレクションに応募させてもらって、U-18から川崎に入りました。
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動画では他にも、J1最終節のFC東京戦で決めた得意のミドルシュートや、トップ昇格見送りで大阪の阪南大学へ行った理由、大学時代のクラブとのコミュニケーションや成長、2023年への決意など、たっぷり聞いているのでこちらもぜひご覧ください!