シニシャ・ミハイロヴィッチ
フリーキックだけでハットトリック達成という伝説を残した元ユーゴスラビア代表のレジェンドレフティ。
幼少期には父親からフリーキックを叩き込まれ、朝7時から練習に明け暮れていたという。
その結果、脅威のキック力で正確かつ重いボールを蹴る技を習得。ある敵将は「GKを2人置かせてくれ」と懇願するほど無慈悲な精度と威力を誇った。
本人はFKは射精のような感覚と述べていたほか、「ベオグラード大学の教授が練習を見に来た。彼らはボールの動きを理解できなかったようだ。高く上がり、思わぬ落ち方をして、左に、右に曲がる。彼らが計測できたのは唯一スピードだけ。一番早いもので165kmだった。他は何も理解できなかったようだ!」とも豪語していた。
2022年12月、白血病のために53歳で死去。