――他のオファーとして、フェイエノールトの名前があったと記事で拝見しました。具体的にどのようなオファーがあったのでしょうか。

フィテッセで監督やっていた(フレット・)ルッテンがフェイエノールトの監督になって、「ハーフナーを連れて行きたい」と、もともとそういう話で。

フィテッセで自分のことを気に入ってくれて。彼の下ではほぼFWはやっていないんですけど、自分の違う引き出しを開けてくれました。

その当時、FWにウィルフリード・ボニーというコートジボワール代表の選手がいて、「ボニーをNo.1として考えている」、「でもお前のことは使いたい」、「お前はここのポジションもできる」とやったこともないボランチとか、トップ下、ウイングなどえ起用されて。

「できるのかな?」と思っていたら、本当に使ってくるんですよ(苦笑)。まさか公式戦…プロにもなって「ボランチで試合に出ることないだろうな」と思っていたら、普通にボランチとかで使ってきて。その1年はいろいろ経験できました。

自分のレベルアップにもつながったので、好印象な監督でした。自分だけではなくて他の選手にも、試合が終わった次の日に一人ずつビデオを見せて「ここが良かった」、「これが良くなかった」、「ここはもうちょっとこうしてみよう」みたいな的確なアドバイスも送ってくれましたね。

何を求めているのか分かりやすかったです。何をうまくやらなくてはいけないのか、何を上達しなくてはいけないのかを明確に教えてくれる監督でした。

その人から折角「また一緒に仕事しよう」っていうオファーがあったのに、自分が頑固すぎて「そろそろオランダから抜けよう」かなっていう道を選んでしまったのが、個人的には間違った選択だったなと思います。

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2015年に加入した父の古巣でもあるデン・ハーグでの経験や、Jリーグ復帰、フィテッセで同僚だったウィルフリード・ボニーについて聞いたインタビュー第2弾の動画はYouTubeの『Qoly公式Ch.』にて近日配信予定。こちらもお楽しみに!

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