「おめぇが作るって言ったから入ってやったんじゃねぇかみたいなことを言われるのかと思ったら…申し訳なかったってなって。ごめん!と。二度としないから、もう一回サッカーを教えてくれと。

分かりましたと言ったら、みんな一生懸命やってくれるようになって。

練習試合でもバーンって当てられて、(殴ろうと拳が)ここまで行くんだけど耐えて。

初めてまともにみなさんがやってくれた1試合目が22-0だもん、負けた。いまでも覚えている。そりゃそうだよね、相手はみんな小学校からやってるわけだから。

22-0で負けて、次が15-0だったかな、それが10-0になってくる。8-0、5-0、2-0、0-0になった!その時はみんなで大泣き…大会でも何でもないんだよ(笑)。

すんごいのよ、根性あるからさ。すごく上手くなるスピードが速い。

何言っても絶対に断らないし。走りの練習でも絶対に最後までどんだけ辛くても走り抜くし。

本当に夜ボールが見えなくなるまで、みんなボール蹴ってるのよ。

すんごい上手くなって、1年目の最後の新人戦はベスト4だもん、県で。漫画でしょ、漫画のような話」

ワールドカップにまで出場した日本代表経験者でここまでのエピソードを持っている人はなかなかいないかもしれない。

【関連記事】もはや愛すべき、サッカー界「レジェンド級の悪童」5名

なんでも、2年生になると顧問の先生が来てくれて、学校もサッカー部のための寮を作ってくれるまでになったそう。

【Qolyインタビュー】パリ五輪出場の東京ヴェルディMF山田楓喜、トッテナムのクルゼフスキを「自分の究極系」と語るワケ

大谷翔平より稼ぐ5人のサッカー選手