現役引退後は通訳の世界へ

――その後ザグレブ大学のクロアチア言語コースに留学されました。なぜ通訳の世界に飛び込もうと思ったのでしょうか。

僕は現役引退したら貿易ビジネスをやろうと思っていた。ただせっかくサッカー選手もやって、言葉もいくつかできた。

(通訳業を選んだ理由の)1つはクロアチアに日本人の知人がいて、彼もサッカーをやっていた。彼がいち早く先にセレッソで「監督通訳」を始めたんですよ。自分も1度Jリーグで選手の通訳をするのはいいんじゃないかと思って、手始めにやろうと思いました。ザグレブ大学でクロアチア語を習得しているときにポルトガル語も勉強したりして。

過去にポルトガル語、スペイン語、もしくはユーゴ系の言葉を喋る選手が所属したクラブをネットで調べて、メールで履歴書を送りました。通訳を募集してないのに勝手に送ったんですよ(笑)。

――留学を終えてから各クラブに連絡したのですね。

通っている途中で、(連絡した時期は)2002年の年末でしたね。

――なぜそのタイミングで連絡したのでしょうか。

なぜならJリーグのシーズンは、そこで切り替わるじゃないですか。そしたらジェフだけが返事をくれたんですよね。

ジェフがオシム監督を新たに招へいするのに「オシムさんが自分の国の言葉でやりたいと言っている」というので。そして当時のGMの祖母井(秀隆)さんやオシムさんと会って面接をしました。

【関連記事】東海1部wyvern間瀬秀一監督独占インタビュー!メッシを開花させた名将からの言葉と、アフシン・ゴトビとの出会い

次回はジェフユナイテッド市原・千葉の通訳に就任した間瀬監督とオシム監督との思い出深いエピソードを掲載する。

【Qolyインタビュー】パリ五輪出場の東京ヴェルディMF山田楓喜、トッテナムのクルゼフスキを「自分の究極系」と語るワケ

大谷翔平より稼ぐ5人のサッカー選手