応援は勝率を左右する

実際、サッカーの世界では応援は勝率に関係すると見られている。

ホームでは異様に勝率が高いチーム、一方でアウェーでは全く勝てないチームが当たり前のように存在している。古い話で恐縮だが1998-99シーズンのイタリアのペルージャなどはアウェーでほとんど勝てず、ホームでは強い方だった。中田擁するチームは最終的にセリエA残留を勝ち取るが「応援」は武器の1つになっているのだ。

日本でも浦和レッズの応援の熱量は今更説明するまでもないだろう。

だが、こうした「応援」というのは選手だけでなく応援している方も熱が入りアドレナリンが出るものだ。具体的事例をあげることはしないが、浦和レッズの応援は過激でも知られていて、度々問題になることもある。

今回は103年ぶりの決勝進出、107年ぶりの優勝ということで一生に一度のチャンスと見たOBも多かっただろう。日本代表がワールドカップ決勝に進出した、おらが町のチームがチャンピオンズリーグ決勝に出場したというようなものなのだ。

慶応の「血」がそうさせたのだというのは、内部の人間としてはわかる。一方で、「嫌いだ」という意見に悲しみを覚えつつも理解はできる。

高校野球に規律と節度を求めるのか

それはなぜかと言うとこれが高校野球の舞台で教育・学生という立場のアマチュアスポーツだからだ。

高校野球というアマ・学校教育の舞台でどこまでの応援をするべきだったか。制限を設けるべきなのかそれは今一度考えるべき論点になりうるだろう。

とりわけ今回の慶応高の躍進は「長髪」「エンジョイベースボール」「常に笑顔」「自由な校風」とこれまでの高校野球観のステレオタイプからは外れたものだった。一方で、今でも自分たちは理不尽なスポーツの部活を通してきて得られたものがあったので、厳しさ、戒律、規制を指導に取り入れる声も根強い。

実は「塾高」は、内部では(筆者たちの代では)自由度の低い方だった。

学生服で詰襟、2000人のマンモス校ということもあり、ある程度の厳しさ律するべきシーンも多いと捉えらえていて、SFCや志木高の方がより自由度が高いイメージもあり珍しくそちらに進学する生徒が多かった年でもあった(とりわけSFCは開設当時には一般常識がないとか社会に出たら使えないというバッシングも多く受けた)。

だが、慶応の内部ではそういう認識であっても、社会は未だそうではない。

「真夏でもスーツ」「髪型髪色に規制」「笑顔だと怒られる」という旧態依然の会社もまだまだ多いのも日本の特徴であるように、自分たちの応援スタイル、優勝という結果に誇りは持ちつつも、まだまだそれが一般的ではないという謙虚さ、「甲子園のルール」「日本のルール」というものがある中で相手チームをどうリスペクトするのか、どこまでの応援を想定していくのかは考えなくてはならないだろう。

野球を“楽しんでいる”象徴的な選手が大谷であろう

昨年までの高校サッカーの青森山田高校のロングスロー問題でもそうだが、日本の学生スポーツ界には学生なのだからルールにないにしてもやり過ぎは禁物ではないか、平等に戦うべきではないかという「学生ならでは」を重んじた「教育の一環」という下での「制限」をもうけたい層は多い。

個人的な意見としては、すでに学生スポーツはビジネス化しており、甲子園は毎日新聞・朝日新聞の利権になっているし、アメリカでは大学スポーツNCAAの年間収入は1000億円を超えるという。大学などの学校名を関したファッションアイテムは今やZOZO TOWNやGUでも購入できる。私学全盛、少子化の時代にあっては「学校法人」というのも「利益を追求」「生き残り」をかけてブランディングしていかないといけない時代にこうした世界的な流れは止められないと考えている。

今後の甲子園は系列校含めて学校法人単位での応援合戦も含めた戦いになってもおかしくはないのでは?と考えている。だからこそ、きちんと応援スタイルのルールが必要なのであればそれを作るべきで、そうでないなら日本に世界基準の応援を浸透していかなくてはならない。

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何か無理やり取り繕ってまとめたような気がするが、それを騒ぎ立てるのはいつも外野であり大人たちである。生徒たちに罪はない。慶応義塾高校野球部の皆様何はともあれ優勝おめでとう!

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