――プロ入りをされて守備の比重が増えていきました。どう受け止めていましたか?
最初は「えっ」て思ってました。
当時世代別代表…U-15, 16, 17, 18と毎年呼んでもらってたんですけど、“守備的な選手”として呼ばれたわけじゃありません。
中盤の右をやったり左をやったり…ボランチでの起用もありましたが、どちらかというと“攻撃的なボランチ”として代表にも呼んでもらってたので。ナショナルトレセンとかもそうですけど。
その世代の日本代表の選手たちと(攻撃的なポジションで)やっていたのにポジションがどんどん下がっていくことに関してはすごく抵抗がありましたね。
でも浦和に加入して、(2005, 2006年と)2年連続で準々決勝、準決勝、決勝と全部出させてもらい、そこで3バックの一角とかを任されました。
決勝の相手はガンバ大阪、清水エスパルス。そういう外国人の(強力な)ストライカーがいるような相手にも3バックの一角として試合に出て勝利を収めたのはすごく自信になりました。
それが守備に入っていくきっかけの一つだったのかなと思いますね。
複雑な想いはあったが、プロという厳しい世界において確かな結果を残していく中で徐々に受け入れていったようだ。
【関連記事】元日本代表FW宇佐美貴史、31歳となったガンバ大阪の「至宝」が迎えた転換期
上記の細貝のインタビュー動画では、「浦和から海外移籍を決断した理由」や「現レアル・マドリーのスペイン代表DFダニエル・カルバハルとの秘話」など興味深い内容になっているぞ。